
「命を賭けられるかという意味では格闘技も演技も同じ」
09年10月26日のアルバート・クラウス戦を最後に、現役引退を決めたキックボクサー武田幸三。鍛え抜かれた〝超合筋〟ボディから繰り出す鋭く重いローキックと、愚直なまでに一歩も引かないそのファイトスタイルで人々を魅了した男は、戦場をリングから劇場へと変えつつ今、再び観客を沸かせる存在としてスポットライトを浴びている。
戦う前に負けている試合なんて誰も観てくれはずがない…
──日本を代表するキックボクサーとして、Kー1などでも活躍されてきた武田さんが、第2の人生に俳優という職業を選んだのは、またどうしてなんでしょう。「この先どうしようかな、と考え始めた頃にちょうど、渡辺謙さんが出演されていた映画『ラストサムライ』を観て、それにズキュンと来たんですよね。男の生きざまを表現できる場所は、リング以外にもあったんです」
──格闘家からの転身。実際、飛びこんでみてどうでした?
「厳しさは予想以上でした。以前からやりたいとは思ってましたし、覚悟もあるつもりでしたけど、キック(ボクシング)ほどではないだろうなって気持ちも、正直どこかにあったんです。でも、本気でやらなきゃいい作品は作れない。そこにどれだけ命を賭けられるかっていう意味では、格闘技も演技も同じなんですよね」
──だとしても、異業種への挑戦に不安はなかったですか?
「もちろんありましたよ。現役の時は控え室なんかも特別で、ある意味、VIP待遇が当たり前だったのに、40歳を目前にしてそういうものが全部リセットされるワケですから」
──確かにゼロからの再出発には勇気がいりそうです。気持ちの切り替えはスムーズにできました?
「結果的に吉本興業に入れてもらえたのが自分にとってはプラスだったと思いますね。どんなベテランさんでも挨拶をすごくキッチリされる体育会系な雰囲気のおかげで、僕自身、初心を思い出すことができたし、これは男を見せないと社長や会社のみなさんにも失礼だなと、気合を入れ直すきっかけにもなったんで」
選手を五体満足で家族の元に帰すのが、僕らの最大の使命なんです
──現役当時は「50日50勝」を掲げて、試合に臨まれていましたが、スタンスは今も変わりませんか。「基本的に50日もない状態でお話を頂くことが多いので、その点ではもっと大変ですね。本番まで1週間しかないなんてこともザラにあるので、もう必死で必死で。自宅で子どもたちに稽古の相手をしてもらったりすることもよくあります。現役時代は仕事を一切、家に持ちこまない主義だったんですけどね。そんなんじゃ間に合いませんから(笑)」
──試合前に遺書まで書かれていた当時からすると、死への恐怖がない分、モチベーションを維持するのも大変そうです。そのあたりはどうやって?
「芝居で死ぬことはないにしても、お客さんに満足してもらわないといけないのは同じこと。なので芝居も全力でやらなければ、お客さんにも伝わらないという緊張感は常にありますよ。実際、現役の時に僕の試合を観に来てくれていたお客さんはみなさん玄人はだしだったんでちゃんと調整して〝50勝〟してきたかどうかは、花道に立った瞬間に見抜かれちゃってましたしね」
──とすると、観客の期待に応えられないのは、死ぬことと同じくらい怖いことだと…。
「そうですね。観ていてつまらない試合にわざわざお金を払ってくれる人はいませんし、リングに上がる以上は、勝っても負けても前に出ないと始まらない。僕自身、お客さんの信頼を裏切るってことがどういうことかは、若い頃に身をもって経験していますしね」
──と、言いますと?
「初めてタイのムエタイチャンピオンとやった24歳の時、あまりに不様な戦いをして、次の試合のチケットが1枚も売れなくなったことがあるんです。その頃の僕は、デビュー戦から負けナシの10連勝中で、国内では無敵の状態。その試合も楽勝だろうとタカをくくっていたら、リングの上には百戦錬磨のスーパーサイヤ人がいた。ヤバい、勝てる気がしない、とこっちは対峙した時点ですでに気圧されてるから、どうにか無事に帰らなきゃってそればっかり。戦う前から負けてるヤツの試合なんて、そりゃ誰も観てくれるはずありません。その時の僕は、お客さんの信用を裏切るという、プロとして一番してはいけないことをしたんです」
──でも、そういった挫折を味わってきたからこそ、今の武田さんがあるんですよね。
「確かにそれ以降は、絶対に逃げなかったし、師匠(治政館の長江国政氏)に対しても一切の口答えをしなくなりましたね。でもまぁ、若い時分は僕もホントに生意気でイヤなヤツでしたよー。今となっては親にも等しい存在である師匠にさえ、最初は普通にタメ口でしたし、初対面の時でも『ジムってここ?』とかそんな感じで(笑)。身の程知らずもいいところです」
──物腰の柔らかい武田さんにもそんな時代があったとは!
「ただ、格闘技を本気でやりたいなら、むしろそれぐらいトンガってるほうがいいとも思いますよ。最初から妙に落ちつき払ってるヤツは絶対伸びませんし、上に行こうとするヤツはどんなに生意気でも、そのうち自然と頭を下げられるようになるもんです」
──鼻っ柱を徐々に折られて一人前の男になっていくと。
「僕もずっとラグビーをやってて体力には自信があるほうだったのに、入門したその日にスパーリングでプロの先輩にボコボコにされて、吐いて汚れた床を自分で掃除させられて……っていう屈辱を味わわされてますからね(笑)」
──まるでスポ根ドラマの一場面のようです。その後、途中でジムを転々とされたのは?
「それは単純に、僕がバカだっただけですね(笑)。ジムに入って半年ぐらいで、黄帯のまま新空手の全日本選手権に出たら、たまたま優勝しちゃって、賞金20万円をもらえたんです。なのに、そのまま全身打撲で入院することになって収支は赤字…。賞金2千万円のKー1に出たくて格闘技を始めた当時の僕からしたら、『やってられねぇ』ってのが本音だったんです。まあ、より華やかな舞台を求めて外に出て、そこで初めて、師匠の愛情の深さにも気付かされたんですけどね」
──やっぱり長江館長の存在は大きかったですか?
「そうですね。僕のことを真剣に考えてくれるのは師匠しかいないし、もしあそこで戻ってなかったら、その後の僕はなかったです」
全力でやらなければ伝わない緊張感は常にありますよ
──そんな武田さんも今や後進の指導をする立場。特に気をつけていることはありますか。「プロになりたいと言われても、一度は必ず『喰えないから辞めたほうがいい。オマエじゃ無理』と言うようにはしています」
──敢えて突き放すと?
「本気でやりたいならその程度のことで諦めたりはしませんから。それでもやりたいっていうコにはデビューが決まった時点で親御さんのところに挨拶に行って『ホントにいいんですか?』という最終確認もします。戦闘ロボットにしてリングに上げるワケだし、最悪の場合は死ぬかもしれない。選手を五体満足で家族の元に帰すのが、僕らの最大の使命でもありますからね」
──最後に若い世代の読者に向けてひと言お願いします。
「簡単なことではないですけど、人生を切り拓くのが自分自身である以上、なにをするにも命は賭けるべきだと思います。あとは、周りを大事にする気持ちを忘れないこと。これは僕が座右の銘にしている『報恩』という言葉にも通じることではありますが」
──武田さんも、渡辺謙さんに追いつけ追い越せでの精神で頑張ってください!
「こないだご本人にお会いした時に『いつか倒します』って言ったら、大爆笑されちゃいましたけどね(笑)。毎日少しずつ積み重ねて、僕なりに魂入れてやっていきたいと思います」
リングでの鬼気迫る雰囲気からは想像もつかないほど、気さくで穏やかな口調で話してくれた武田さん。演技に対するその真摯な姿勢は、ムエタイで頂点に立ったかつてのように、遠からず結実するに違いないー。
PROFILE
武田幸三(たけだ・こうぞう)
1972年12月27日生まれ 東京都出身93年に治政館入門。
95年、新日本キックボクシング協会でデビュー。97年にウェルター級王者となり00年、ムエタイ王座初挑戦。01年、ラジャダムナン・スタジアムウェルター級王座獲得。03年よりK-1 WORLD MAXに参戦。強烈なローキックと右ストレート、愚直に前に出続けるファイトスタイルで人気を博す。09年10月26日のアルバート・クラウス戦を最後に現役引退。以降、俳優活動を始めドラマや舞台に出演。「検事・鬼島平八郎」「示談交渉人 ゴタ消し」「デカ 黒川鈴木」などに出演。劇団Hi!youに所属し今後、定期的に公演を行っていく。
公式ブログ

1972年12月27日生まれ 東京都出身93年に治政館入門。
95年、新日本キックボクシング協会でデビュー。97年にウェルター級王者となり00年、ムエタイ王座初挑戦。01年、ラジャダムナン・スタジアムウェルター級王座獲得。03年よりK-1 WORLD MAXに参戦。強烈なローキックと右ストレート、愚直に前に出続けるファイトスタイルで人気を博す。09年10月26日のアルバート・クラウス戦を最後に現役引退。以降、俳優活動を始めドラマや舞台に出演。「検事・鬼島平八郎」「示談交渉人 ゴタ消し」「デカ 黒川鈴木」などに出演。劇団Hi!youに所属し今後、定期的に公演を行っていく。
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