今回のインタビュー中、彼が最も多く口にしたフレーズは「最後まであきらめない」。その言葉に、彼の生き様のすべてが集約されている。第33代・35代IWGPヘビー級チャンピオン・天山広吉。何回倒されても立ち上がる姿に、会場を埋め尽くしたファンは万雷の声援を送り続ける。新日本プロレスが誇る最強のブルファイター。不屈の男が語る「成功の秘訣」とは?
タイガーマスクに憧れて1日スクワット3000回
──小さいころはどんな子供でした? 「本当に体が弱かった。小学校2〜3年くらいまで毎月病院で検査を受けてたし、プールはいつも見学。球技が好きで少年野球をやっていたんだけど、医者からは反対されてたよ。ちょうどそのころプロレスを見始めて、タイガーマスクに憧れたね」
──いつからプロレスラーになりたいと?
「小さい頃からなりたいと思ってたよ。中学はバスケットをやってたんだけど、背を伸ばしたいっていう気持ちで始めたんだ。高校に入ったときはある程度背も伸びてて、今度は筋肉つけたいと思って自己流でボディビルを始めて。家の勝手口で、バカみたいにスクワットを3000回くらいやってたよ。このくらいやんなきゃプロレスラーになれないって思ってた」
──いつ新日本プロレスに入団したんですか?
「山本小鉄さんが主催されてる新日本プロレス学校っていうのがあって、高校を卒業してから上京してそこに入った。それから8ヶ月くらいして、入門テストを受けて入団したんだ。50人くらい受けて、結局4人か5人しか受からなかったよ。狭き門だったね」
──入門されて、誰の付き人をなさったんですか。
「最初は橋本(真也)さん。それから半年くらいして、今度は長州(力)さん。しかも2人兼用だったんだよ。長州さんは自分のことは自分でやるってタイプなんだけど、橋本さんの方が手がかかって(笑)。当時橋本さんは独身だったから、練習しないときでもずっと道場にいるから気が抜けなかった。しかも空気銃で遊ぶのが趣味で、よく追いかけられたよ。10数えるから逃げろ!!とか言われてさ。ワーっと逃げても、10秒後に本当にバーン!と打ってくる。背中に青あざができるし、橋本さんは笑ってるし、あれにはホント参ったよ。スゴい思い出だよね」
──辞めようとは思わなかったんですか?
「最初はこんな世界のはずじゃないって思ったけど、橋本さんは明るい人だったし、全然陰湿とかじゃないんだよ。そういうことをしても、ちゃんとあとでフォローしてくれたりね。優しい先輩だったし、この人についていこうかな、みたいな思いはあったよ」
──入門時、目標になさってたレスラーは?
「付き人の影響もあったと思うけど、長州さんや橋本さんには憧れたよ。テクニシャンというよりもパワーファイター系だよね。元々タイガーマスクが好きだったのにねぇ。海外から帰ってきてからは、蝶野さんの影響も大きかった。いろんな意味で、いい先輩に出会えて良かったなって思うよ」
──本名は山本ですよね。天山というリングネームは誰がつけたんですか?
「海外遠征でカナダに行ったときに、元レスラーの大剛(鉄之助)さんにコーチを受けてたんだ。そのとき大剛さんに言われたんだよ。山本じゃ目立たないだろう。天山ていうのはどうだ??って。最初なんかピンと来なかったんだけどね…。何が天山だ??みたいな(笑)でもやっぱり、この業界はいろんな部分で目立ってナンボっていうところがあるからね。今思えば、大剛さんにいい名前をもらったなあって思ってるよ」
──天山選手は髪型やコスチュームがスゴく派手ですよね。入場のときに角をつけたり…。
「それはね、新弟子のときに先輩に牛に似てるなって言われたのがきっかけ。あまりにもしつこく言われるから、じゃあこれを武器しようって思ったんだよね。で、ちょうど海外行ったときに角をつけてみたんだ。海外ではインパクトがないとダメかなって思ってさ。実際そんなこと誰もやらないじゃない?だから目立ってよかったよ。海外のリングで、日本人がなんだコイツ?みたいな格好してたら、やっぱり目立つよね。しかも、強かったらなお目立つじゃん。やっぱりプロとして、常に人に見られてるってことを意識しないといけないからね。お客さんに、また見に行きたいって思ってもらわないとダメだから。」
1度や2度の失敗はいい経験 夢のまた上を目指していけ!
──プロレスラーとして心がけていることはありますか?「ファンあってのプロレスという気持ちだけは忘れないようにしてる。だから時間がなくても、サインや写真はなるべく断らないように…とかね。以前に蝶野さんと狼軍団という悪役をやってたころは、サービスをあんまりやらないようにしてて、ファンが寄ってきても。怖い顔であっち行けコノヤロー!! って追い払ってた。プロレスラーは怖くて強い人だっていうイメージが大事だと思ってたからさ」
──思い出に残っている試合は?
「ムーンサルトで頭から落ちたことがあったんだけど、本当にあのときは生死をさまよったっていう感じだった。もうダメだって思ったもん。半分意識あるかないかっていう状態で、救急車で運ばれたんだよね。途中で目は覚めたんだけど、体が横になったまま思うように動かないんだよ。もうワケがわからなくて、気がおかしくなっちゃった。病院にみんなが心配してきてくれても、もう錯乱状態でワケわかんなくなっててね。暴れちゃって手に負えない感じ。実際、これで最後だと思ってたよ。自分でも、あそこからまたカムバックできたっていうのが不思議なくらいだね」
──その事故がきっかけでプロレスラーを辞めようとは思わなかったんでしょうか?
「ここまで来たら、とことんやり通さなきゃいけないっていう気持ちが強かった。今、辞めたら今まで応援してくれたファンに申し訳ないというか…。自分のために諦めてはいけないというのもあったけど、それよりも応援してくれる人のためにもやらなきゃダメだな、という気持ちだったね」
──リングでそのときの恐怖がよみがえることはありませんでしたか?
「リング上で迷ったりするのが一番よくないからね。なるべくそういう怖さっていうのは考えないようにしてた。失敗しても、リング上で死んだらそれはそれでいいかなって変に開き直ってね。リングの上では何が起こるかわからないんだ。受身を失敗しただけで、取り返しのつかないことになるかもしれない。だから、本当に毎日覚悟しながらリングに向かってるよ。やっぱり失敗を恐れていたら何もできないと思うんだよね。常に前向きにっていうか、プラスに考えていかないと」
好きな言葉は「一生懸命」最後までとことんやれ!!
──いつも気を張っていなくてはいけないと思いますが、気分転換に何をされてますか?「パチンコくらいだね。レスラー辞めたらパチプロになろうかなってくらいパチンコ好きなんだ。いつも嫁さんに無駄遣いだって怒られてるよ(笑)。データを見て、波を読みながらやってるんだけど、その辺はやっぱり勝負に対するこだわりなのかな…。行く店もちゃんと決まってるんだ(笑)」
──パチンコ屋にいたら目立つでしょうね。
「いつもの店はみんな知ってるから声をかけてこないけど、地方に行くとやっぱり目立つみたい。なんでこんなとこいるの?って目で見られるよ。でも、写真やサインを頼まれたら、ちゃんと書いてあげますよ。そしたら結構当たりが出たりするんだ」
──ジンクスみたいなものですね。同じような意味で、座右の銘はありますか?
「とにかく一生懸命ってことかな。キツいときも自分の力を信じて、一生懸命がんばる。何があっても自分を信じることが大事かなって思うよね。もう自分しか信じられないっていうくらいまで追い詰める。ギリギリのところでは人は助けてくれない、自分を信じるしかないんだって気持ちを忘れないようにしてるよ。ファンの人も、応援するときはするけど、新しいスターが出てきたらそっちへポーンと行っちゃうかもしれない。いつも危惧感は持っていないとね」
──「ドカント」は求人誌なのですが、フリーターといわれている人達や就職を目指している若い人達にエールをお願いします。
「自分もプロレスがなかったらプータローしてるかもしれない。何か1つ、何でもいいから自分の?道?を見つけてほしいよね。ちょっとしたことでもそれを励みにして、夢を持ってやってほしいなって思う。成功するしないは別にして、それに賭けてみるという気持ちが大事かな 。今の時代、強い自分というか、芯がしっかりした強い人間じゃないと夢がなくなってしまうと思うんだよね。厳しい時代だと思うけど、自分の力を信じてがんばってほしい。 若いうちにしかできないことを今やってほしい。それで、それが何かに結びつけば、一気に突っ走ってもらいたいな。1度や2度の失敗は恐れないで、とにかくあきらめないで、最後までがんばってもらいたいね。失敗を恐れずに最後までとことんやれば、なにかしら自分に跳ね返ってくると思うんだよ。…俺もあんまりエラそうなことは言えないんだけど(笑)」
──最後に今後の目標について聞かせて下さい。
「天山広吉の時代を、プロレス界に築いていきたいですね。どこまで行けるか分からないけど、とことん突っ走っていきたい。どんな敵が来ようが、天山がやってくれるだろうとファンが期待してくれるような、強い天山広吉になっていきたいなと思ってます。あと、パチンコも強くなりたいなと(笑)」
PROFILE
天山広吉(てんざん・ひろよし)
本名:山本広吉。1971年3月23日、京都府生まれ。
新日本プロレス学校を経て90年に新日プロ入門。93年第4回ヤングライオン杯に優勝し、欧州武者修行へ出発。95年凱旋帰国を果たすと、蝶野正洋との蝶天タッグ、小島聡との天コジタッグ等で、IWGPタッグ王座に通算7度君臨。2003年、第13回G1CLIMAXでは悲願の初優勝を果たし、同年高山善廣が持つIWGPヘビー級に挑戦。7度目の挑戦にして悲願の初載冠、第33代王者に輝く。中邑真輔に破れて王座を手放すも、2004年2月に第35代王者に返り咲いた。先日佐々木健介に敗れて王座を手放したが、不屈の闘志で必ず復活するはずだ。
公式HP
天山広吉(てんざん・ひろよし)
本名:山本広吉。1971年3月23日、京都府生まれ。
新日本プロレス学校を経て90年に新日プロ入門。93年第4回ヤングライオン杯に優勝し、欧州武者修行へ出発。95年凱旋帰国を果たすと、蝶野正洋との蝶天タッグ、小島聡との天コジタッグ等で、IWGPタッグ王座に通算7度君臨。2003年、第13回G1CLIMAXでは悲願の初優勝を果たし、同年高山善廣が持つIWGPヘビー級に挑戦。7度目の挑戦にして悲願の初載冠、第33代王者に輝く。中邑真輔に破れて王座を手放すも、2004年2月に第35代王者に返り咲いた。先日佐々木健介に敗れて王座を手放したが、不屈の闘志で必ず復活するはずだ。
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取材・文/石原真道 撮影/HIROKAZ