コント日本一を決める大会「キングオブコント」に4度決勝進出の実力派コンビ、ザ・ギース。プロ野球・広島カープ愛があふれる尾関さん、小説集執筆に加えハープ奏者としても知られる高佐さんと個々の活動も活発だ。7月には単独ライブ「デフォルトの遊園地」も控え、芸歴18年になる“高学歴芸人”の二人にお笑いを仕事に選んだ経緯やバイト経験の話、シティボーイズさんに憧れて入った事務所について、現在の仕事信条や原動力そして今後の目標をじっくり聞いてきた。
『面白いと思ってもらわないと芸人仲間と同じ場所にいられないから頑張る』
大学お笑いサークルの集いで知り合い名前も頂きコンビ組むことに
──年齢も出身地も違う、お二人の出会いから聞かせてください。
高佐「大学お笑いサークルで別々のコンビとトリオでやっていて、東京の各大学が集まるお笑いバトルに参加した時に会ったのが最初です」
尾関「早稲田大学のWAGEには小島よしお、かもめんたるといった才能がいました。その後、芸能事務所のアミューズが立ち上げたお笑い部門に所属。ちなみに5年ぐらい前にDAIGOさんと会った時に『尾関さんってシックインホームの人ですよね?観てたんですよ!本物だ』って。いや、本物だ!はこっちのセリフ(笑)聞けば当時、熱心にお笑いライブへ通われていたとかで」
高佐「僕もコンビを解散、尾関も解散してフラフラしていた。知り合いから『コント劇団をやる』と誘われて行ったら尾関がいて」
──ザ・ギースとしてコンビを組むことになったのは?
高佐「コント劇団の仲間とみんなで『ワークショップに行ってみよう』となったのに、実際に行ったのは2人だけ。一緒にやっていたら主宰の故林さんから『この中でコンビを組ませたい』と、コンビ名もつけてもらいました」
尾関「お膳立てされたんです。だからこう言っちゃなんですが名前に思い入れが…ない(笑)」
──結成当初はフリーで活動。翌年には今の事務所に。
高佐「所属の前からシティボーイズさんのライブのお手伝いをさせてもらっていて、徐々に顔を売って。TBS『ゲンセキ』に大学お笑いのツテで出させてもらった時に『入りたい事務所ないの?』と聞かれ『ASH&Dに入りたい』と外堀を固めていきました」
──憧れのシティボーイズさんにはそれぞれどんな思いが?
高佐「お笑いなんですけどシュールで媚びない感じがカッコいい!事務所に入って10数年経ちますがいまだに緊張します」
尾関「大竹さんは怖い人のイメージがあったけど面白カッコいい、面白怖い、職人的なところがある方で3人のようにライブだけでお客さんを呼べるようになりたいというのがありました」
──高佐さんが早稲田中退、尾関さんは明治卒業と〝高学歴芸人〟ですが周囲の反対は。
尾関「当初は何も障害はなかったですが、30歳を越えたあたりから『どうするんだ?』と退路を断たれた後に心配してきて。もうちょっと早くしてくれたら考えようもあったんですけど(笑)」
高佐「父親が学習塾を経営していて、学歴社会の化身みたいな人で『大学辞めて芸人になる』と言った時は勘当されました。一時期は突き放されたんですけどテレビにNHKの『爆笑オンエアバトル』かな、出たぐらいから許してもらえる空気になって実家に帰った時に酒を飲んだんです。僕が独り立ちするまで酒を断っていたと聞いて、そんないい話が…」
尾関「高佐のお父さんは、マジメだね~」
──08年の「キングオブコント」初決勝はいい滑り出しですよね。当時はまだバイトしてましたか。
尾関「週8~9でバイトしまくっていて。コーヒーショップ、スーパーのレジ打ち、ディズニーランド、蕎麦屋で蕎麦を打ったり釜飯屋、居酒屋、カラオケ、実演販売もやった。ただ、探偵事務所の面接を受けに行ったら背が大きいから尾行できなそうだと思われて受からず。愚鈍そうだと採用されなかったことがありました」
高佐「思わぬ盲点、デカい人は尾行できないって(笑)」
──中でも印象深いアルバイトは?
尾関「大きい企業さんをPRする仕事に出させてもらった数日後にバイトでその会社に椅子を搬入。少しはテレビに出ているのにバイトしてるのを見られるのが超恥ずかしいから背中を丸めて」
高佐「背が大きいし目立つから」
尾関「尾行できないから(笑)申し訳ない気持ちで…本業で呼んで頂いたのに別の日は椅子を運んでいるんだからヒドいよね」
高佐「目を疑う、同一人物かなって。僕は学生寮に住んでいた時に日雇いバイトをよくしてました。バキュームカーに乗って水槽を清掃するバイトは日給が良かったのでよく行ってました。居酒屋のキッチンは長くやりました」
ギースの露出を増やしたいから個人活動はお互い頑張っていこう!!
──お笑いだけでメシが食えるようになったのは。
高佐「初めて『キングオブコント』に出させてもらった時はバイトしてて、そこから1年ぐらいです」
尾関「僕は09年に結婚して、すぐ子どもも生まれ、芸人の収入だけだと苦しかったので14年、15年ぐらいまでは単発バイトをやってました。『キングオブコント』初出場の時は辞めようと思っていたんです。決勝に行けなかったらお笑いを辞めようと。決勝が決まり、またこの生活かって。うれしかったですけど、その一瞬は…絶望でした(笑)」
高佐「辞めようと思っていたのを知らなくて。準決勝で決勝進出者の名前が呼ばれた時、僕はよし!とガッツポーズも相方は微動だにしなかった。感情がぐちゃぐちゃだったんでしょうね」
──4度決勝進出の「キングオブコント」はどんな存在ですか。
高佐「20代のころから出させてもらって今、40歳で、ずっと青春みたいな感じです」
尾関「年を重ねていくとネタの力が衰えてくることが多いので、お客さんの前で笑いが取れるのか確認の場というか。わりとシビアに捉えてますね」
──今年も始まります。出場されますよね。
高佐「今まで避けてきた人間味みたいなところで勝負できたら、と考えてます。僕らにはスタイリッシュなイメージがあるみたいで、でも実際、話してみると僕も尾関も変なんですよ。先輩から『もっとそこを出せば』とアドバイスを頂いたりするので」
──若手ライブとかでイジられたりするんですか?
高佐「年を重ねてきて『この人、イジっていいんだ』となってきてます。ウエストランドの井口くんにはよく」
尾関「老害がきた!って。仕立て上げておいて実は井口もいい年なんですよ。自分の老害を隠すために隠れ蓑に使っている。これは書いておいて欲しいんですけど」
高佐「ココでバッシング?面と向かって言わずに(笑)」
尾関「ドカントさんで刺しておかないとアイツは」
──改めてになりますがシティボーイズさんに憧れて入られた事務所については。
高佐「居心地はいいよね。みんな優しいんですよ、阿佐ヶ谷(姉妹)さんはそんなイメージがあると思いますけど」
尾関「いい人だよね阿佐ヶ谷さんは。いいおばさん。それに引き換え井口はヒドいねぇ(笑)」
高佐「悪いおじさん」
尾関「悪いおじさん(笑)」
高佐「いないところで後輩の悪口を言う」
──〝広島カープ芸人〟の尾関さん、小説上梓にハープ演奏の高佐さんと個人活動も活発です。
尾関「めちゃめちゃ頑張ってほしい。どっちかが出ることはプラスにしか働かないので。高佐はハープ奏者として認識され始めているから奏者として売れてもいいのでとにかくギースの露出を増やしていきたい!」
高佐「まったく同じ!何がきっかけで売れるか分からないですし、嫌々だったら応援しずらいですけど、好きなことだったらマジで頑張ってもらいたいです」
──今年のカープはどうですか?
尾関「なかなか良い戦いが続いているカープ。優勝しか見えてません!交流戦前半で結構なやられ方をして、倒れているカープファンは多いですけど(笑)大変な戦いが続きますがココからです!」
準備をしっかりして取り組む&追求は肩の力を抜きやっていきたい
──短編小説集「かなしみの向こう側」執筆の経緯は。
高佐「オファーを頂いて。同じ事務所の夙川アトムが褒めてくれてうれしかったです(笑)」
尾関「身内が褒めてくれた話をするなって!でもあれの何がいいって『本を出したんです』きっかけでお世話になった人に会ったり、仲のいい芸人さんと話したりして広がっていくのが大きいよね。手にした人が発信してくれたり、繋がりが復活する。大林素子さんにすごく可愛がって頂いているので、大林さんが川合俊一さんに渡したりしてバレーボール界に広まることもあるから」
高佐「日本バレーボール協会の会長になった川合さんに『おめでとうございます』で渡すと。そういのは苦手なんだけど…」
──高佐さんにはハープも。
高佐「聞き慣れない言葉が飛び交うと思いますが、去年の8月2日、ハープの日の銀座十字屋さんのランチタイムコンサートに向けて一曲弾くというのを練習して見事終わりまして、今年は二回りデカいグランドハープに挑戦してます」
尾関「今度はペダルがついてるんでしょ」
高佐「今まではレバーで半音上げるタイプのもので。ハープの日に向けて一曲練習中です」
──ハープ普及の一翼を。
高佐「現代の著名なハープ奏者の欄に僕の名前を見つけて責任感が出てきましたけど、まだまだ」
尾関「若手じゃないけど、新進気鋭の。若い人が演奏しているイメージないし。家に置いているんですけど、ハープを持っている人は一階にしか住めないんだよな」
高佐「音が下に響いちゃって。あと階数が増えると持ち運びが不便なので一階に住むという、ハーピストあるあるが」
──お二人には12年前にも登場して頂き、仕事信条を伺いました。現在は変わりましたか?
尾関「適当はダメだなって(笑)準備をしっかりして取り組んだほうがいろいろなことに繋がるからいいなと今にして思います。12年間、普通に生きてきて、お笑いをやってきて思います」
高佐「深く追求するはそこまで変わってない。ただ根を詰めすぎてもよくないので絞って追求するか、ストイックになり過ぎずにやっていくのがいいのかなって」
──仕事をする上でのモチベーションを尋ねられたら。
高佐「周りに優しい人が多くて、今までやり続けてこれたと思うのでこれからもその人たちといい関係でいたい。それが原動力としてあるかも。個人的なことでいうとバッファロー吾郎A先生によくしてもらっていて僕がやりたいことをやるライブに出て頂いた時に先輩風を吹かすこともなく、大先輩ですけど寄り添ってくれた。お笑いに対して誠実で謙虚で、人としても寛大さ、優しさがあって見習いたい、頑張ろうと思えます」
──尾関さんも人に恵まれていると感じますか。
尾関「みなさんに恩があります。大竹さんにはお小遣いをもらったり、助けて頂いてなんとかなっている部分はあるので恩返しをしたい。芸人っていい人が多いんですよ。そういう人たちとずっといたいと思ったら、お笑いを頑張ってこの世界で面白いと思ってもらわないと同じ場所にいられないので原動力になっているかも」
──最後に抱負や目標を。
高佐「今年の初めにギース会議をして目標を決めました。今までは単独ライブを全国でとか言ってましたがシンプルに売れる!です」
尾関「面白いキャラを見つけて爆発的にウケる。どんな場でもウケ続けてお金をたくさん儲けられるようになる。大きい目標を定めて毎日、全力でやる。シンプルに売れたい!です」
PROFILE
ザ・ギース
04年3月にコンビ結成。コントを基盤にテレビ、ライブ、CMなど多岐に渡って活躍。「キングオブコント」は第1回から出場し08年、15年、18年、20年と4度ファイナリストになる実力派。ザ・ギース単独ライブ2022「デフォルトの遊園地」を7月5日(火)から東京・下北沢のシアター711で上演。7月17日(日)よみうりホールで開催の「全日本コントファンクラブ2022―DAIKOUBUTSU―」寿司の回に出演する。
公式HP
高佐一慈(たかさ・くにやす)
1980年9月2日生まれ 北海道函館市出身
公式Twitter
尾関高文(おぜき・たかふみ)
1977年8月6日生まれ 広島県東広島市西条町出身
公式Twitter 公式Instagram
ザ・ギース
04年3月にコンビ結成。コントを基盤にテレビ、ライブ、CMなど多岐に渡って活躍。「キングオブコント」は第1回から出場し08年、15年、18年、20年と4度ファイナリストになる実力派。ザ・ギース単独ライブ2022「デフォルトの遊園地」を7月5日(火)から東京・下北沢のシアター711で上演。7月17日(日)よみうりホールで開催の「全日本コントファンクラブ2022―DAIKOUBUTSU―」寿司の回に出演する。
公式HP
高佐一慈(たかさ・くにやす)
1980年9月2日生まれ 北海道函館市出身
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尾関高文(おぜき・たかふみ)
1977年8月6日生まれ 広島県東広島市西条町出身
公式Twitter 公式Instagram
Interview&Text/立花みこと Photo/渋谷和花