『鈴木軍』のリーダーとしてプロレス界を席巻する鈴木みのる選手は“世界一性格の悪い男”と呼ばれながらも、常にファンを熱くするファイトで高い評価を得ている。フリーとして団体を渡り歩き、そのすべてでトップを張ってきた男が語る仕事論、プロ論とはーー!?
日本最大の団体・新日本プロレスから観客20人の極小団体まで、あらゆるシチュエーションで活躍してきた鈴木選手。この自由なスタンスは、いったいどこから生まれたのか。そして自由に生きるために必要なこととは何か。かつては「理想に縛られていた」という鈴木選手だから得ることができた“自由”に耳を傾けるべし!
住むところも食べ物の着るものも自分で探して歩かなきゃいけない
──現在ノアのチャンピオンとして活躍中の鈴木選手ですが、その前は新日本プロレス、全日本プロレスに出ていた時期もありました。そのすべてでトップを張ってきたというのは凄い実績ですよね。「それができたのは、新しいステージに立ったら新しい自分のステータスを作ってきたから。同じことやってたら飽きられてしまう。生きていくためには、そうしないといけなかったんですよ」
──それは、意識的に変えられるものなんですか?
「自然に変わる部分もありますよ。北海道の山奥に住んでた人間が原宿に住むようになったら、生活スタイルもファッションも変わるでしょ。考え方だって変わる。それと同じですよ」
──環境を変えることで、自分に変化を促している?
「いや、すべては生きるため。一箇所にとどまっていても、俺という植木に誰かが水をくれるわけじゃないから。自分から水を求めて歩き回らなきゃいけない」
──そこがフリーの大変さですよね。
「大変っていうか、それが基本です。住むところも食べ物も着るものも、自分で探して歩かなきゃいけない」
──そうして、常に結果を残してきました。
「才能ですね(笑)俺が求めてるハードルっていうのは低くないから。この歳、このキャリアになっても、まだお金に対する欲求っていうのは強いんですよ」
──まだ満足できない、もっと稼ぎたいという。
「そのためには、自分の足で動く必要がある。『なんかいい仕事ねえかなぁ』と考えてるだけじゃゼロ円。でも動けば10円なり100円になるわけで。それを積み重ねていけばいい。どうせなら稼ぎも一番になりたいですから。今だけじゃないですよ。過去のレスラー、力道山、猪木、馬場も含めての一番」
──鈴木選手が凄いと思うのは、大きい団体で活躍しながら、規模の小さいインディー団体にも出ていることなんですよ。
「出ますよ。今年はよく女子プロレスラーとやったり」
──数年前に『崖のふちプロレス』に出た時は驚きました。それから勇者アモン戦というのもあって。
「客が100人もいないような会場でね。でも客が20人か30人ってこともありましたからね。照明は裸電球一個だけ、そこに斜めになったリングが置いてあるっていう」
──そこに鈴木選手がいる光景っていうのは凄いですよね(笑)
「女子プロレスだろうが小規模団体であろうが、仕事として成立するなら出ますよ。大きい団体に出る時と同じギャラが用意されるんなら出るし、その代わり、どこでも同じクオリティの試合をやりますよと」
──たとえば「こんな小さい会場で試合はできない」「こんな相手とはやりたくない」ということはないですか?
「ないです。ギャラっていう最低ラインがあって、あとは自分が面白そうだと感じるかどうか。熱心に誘ってくれて、その熱意に応えたいっていう場合もあるし。あとは、プロとしてやれないことがあるっていうのが許せない」
──「それは無理です」とは言いたくないという。
「言いたくないですね。まあ100%やるわけではないけど……99%はやりますね(笑)鈴木みのるを使って面白いことをしようと考えてる人間がいたら、その上を行かないと気が済まないんですよ。自由にやりたいっていうのもありますしね」
他の選手がどうであれ俺が目立てて稼げればそれでいいんでね
──確かに鈴木選手ほど自由に動いている選手はいないかもしれませんね。「昔は、自分で自分を縛りすぎてたんですよ。『自分はこうじゃなきゃいけない』『プロレスはこうあるべきだ』という理想に縛られてた。自分で作った鎧で動けなくなってたんですよ。でも自由なのが一番かなって。そう思うようになったのは、ここ10年くらいですかね」
──それは、何かきっかけがあったんですか?
「単純にお金がなくなったから(笑)財布にお金がなくて、銀行におろしに行ったら残高が700円っていう時があって」
──うわ~!
「自分のやってきたこと、作り上げてきたことに自負はあったんだけど今現在、お金がないっていう事実に直面しましたね。あんなに体張ってきて、現実はこれかよって」
──そこで「理想に縛られてる場合じゃない」と。
「しかも、その理想が嘘だったって気づいちゃった。理想を追い求める姿がカッコいいと思ってただけだなって。それでアントニオ猪木さん、前田日明さん、天龍源一郎さんともぶつかりましたからね。まあ、それも今となっては財産なんですけど。それで結局、戻ったのは一番最初、中学生の頃に憧れてたプロレスラーの姿でしたね」
──というと?
「カッコいいスターになりたかった。漠然とね」
──確かに、そこがスタートですよね。カッコいいから憧れるわけで。
「今はそこに戻ってますね。漠然でいい、カッコよさに理屈はないんじゃないかなって。ただ、自由にやるためには責任は自分で取らなきゃいけないっていうだけですね。今は逃げ場もないし、隠れ蓑もない。それが自由ってことだなと」
──自由に生きるためには、実力がなければいけない。
「練習ですよね。四の五の言わずに練習」
──今はプロレスの幅が広がって、体の小さい選手もたくさんいます。実力を否定したくなる選手もいるのでは?
「それも個性ですよ。ほかの選手がどうであろうと気にならない。俺は自分が世界一レスリングの実力があると思ってるし、それが金になってる。ほかの選手がどうであれ、俺が目立てて稼げればそれでいいんでね。自分のためにやってるんだから」
──鈴木選手はどの団体に上がっても、誰が相手でも、入場曲の『風になれ』(歌/中村あゆみさん)だけは変えていませんね。
「有名になったら曲を作ってもらうんだって、ずっと思ってましたからね。この曲は完全に俺の主題歌。『太陽にほえろ』とか『ロッキー』と一緒ですよ。20年前に作ってもらった曲で、当時の心境を詩にしてもらったんですけど、不思議と今も当てはまるんですよね」
──自分の軸になるものは変わってないんでしょうね。
「変わってないですねぇ。パンクラスで負けが込むようになって、苦しい時期に使い始めた曲なんですけど。それも含めて、鈴木みのるの物語っていうのはよくできてるなと思いますね」
──紆余曲折あって、結果、今が全盛期ですもんね。
「いや、まだでしょ。47歳だけど、まだ伸びてるから。俺の全盛期はこれからですよ」
常に日本プロレス界の中心で活躍し続けてきた鈴木選手は、やはり磨き抜かれた“プロ論”の持ち主だった。フリー選手として“稼ぐ”“生き抜く”ということへのシビアさ。理想を掲げるのではなく、理想に縛られない自由さと、そのために必要な実力。鈴木選手の言葉は、どんな仕事にも当てはまることだろう。
PROFILE
鈴木みのる(すずき・みのる)
1968年6月27日生まれ 神奈川県出身
新日本プロレスに入門し88年、デビュー。U.W.F、藤原組を経て93年にパンクラスを旗揚げ。03年にはパンクラスMISSIONを立ち上げた。以降、新日本やプロレスリング・ノア、全日本プロレスを始め様々な団体のマットに参戦。新日本プロレス第46代IWGPタッグ王者、全日本プロレス第35代三冠ヘビー級王者などに輝き、06年度プロレス大賞ではMVPを受賞した。プロレスリング・ノア現GHCヘビー級王者。東京・神宮前のグッズショップ「パイルドライバー」オーナーでもある。CD&DVD-BOX「中村あゆみ×鈴木みのる『風になれ』完全版」発売中。著書「プロレスで《自由》になる方法」が毎日新聞出版から10月30日に発売。11月15日に両国国技館で開催される「~天龍 源一郎 引退~ 革命終焉 Revolution FINAL」にも参戦する。
公式ブログ
公式Twitter
鈴木みのる(すずき・みのる)
1968年6月27日生まれ 神奈川県出身
新日本プロレスに入門し88年、デビュー。U.W.F、藤原組を経て93年にパンクラスを旗揚げ。03年にはパンクラスMISSIONを立ち上げた。以降、新日本やプロレスリング・ノア、全日本プロレスを始め様々な団体のマットに参戦。新日本プロレス第46代IWGPタッグ王者、全日本プロレス第35代三冠ヘビー級王者などに輝き、06年度プロレス大賞ではMVPを受賞した。プロレスリング・ノア現GHCヘビー級王者。東京・神宮前のグッズショップ「パイルドライバー」オーナーでもある。CD&DVD-BOX「中村あゆみ×鈴木みのる『風になれ』完全版」発売中。著書「プロレスで《自由》になる方法」が毎日新聞出版から10月30日に発売。11月15日に両国国技館で開催される「~天龍 源一郎 引退~ 革命終焉 Revolution FINAL」にも参戦する。
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Interview&Text/橋本宗洋 Photo/おおえき寿一