84年に新日本プロレスに入団。アントニオ猪木氏の付き人や海外遠征を経て、武藤敬司氏、故・橋本真也氏とともに〝闘魂三銃士〟としてブレイクし、現在も強烈な存在感で他を圧倒する蝶野正洋氏が本誌初登場! 尊敬する師アントニオ猪木氏と訪問した被災地で体感したことやこれからの心の持ち方、さらには夢の実現法まで語り尽くしてもらいました! 必読です!!
今の若い世代はみんな優秀だよ!和を大切にする心に長けている
アントニオ猪木さんと一緒に東日本大震災の被災地を訪問した人気プロレスラー蝶野正洋さんに独占取材を敢行。明日への活力となるエールを頂きました!!──蝶野さんが猪木さんと被災地の福島県いわき市と宮城県東松島市を訪問したのは、4月でしたよね。状況はいかがでしたか。
「猪木さんもオレも、訪問する直前までどんな言葉をかけていいのか分からず戸惑っていたんだよね。震災の被害が、あまりにも酷かったから。でも、到着して話をしてみると意外とみなさん、元気で。すごく強いパワーと、生きよう、前に進もうって意欲を直接、肌で感じることができたんだ」
──その前向きなパワーを具体的に感じたエピソードは。
「以前、NPOの方と話をした時にこんな具体例を聞いたことがあるんだ。自主的に炊き出しを行うとか自力で立ち上がろうとする被災地は復興の兆しが早く訪れるけど、ボランティアや国からの援助に甘えきってしまうところは、なかなか復興ができないと。オレたちが回った4ヶ所の被災地は、完全に前者。避難先の体育館から自宅に戻って、自分たちの生活を取り戻そうと奮闘していた。それを直接、目で見て『復興は近いんだな』と実感したんだよね」
──しかも、アントニオ猪木さんが訪れるということは…。
「若者たちが自然と『ダーッ!』と掛け声を上げたり、闘魂ビンタを求める空気が出来上がったよね。猪木さんに元気を与えてほしいっていう本心からのあの雰囲気。訪問して良かったよ」
──被災地ではない地域では依然、自粛ムードが漂っていますが。
「自粛するよりもむしろオレは、被災地から見た時に目標となるような活気ある状況を作るべきだと思うね。例え被災していなくても、未だ続く余震や原発の問題で精神的に不安定な要素はあるだろうけれど。その点、猪木さんはね、オレたちが被災地を訪問した4月5日の時点で、『自粛なんて止めちまえ!』と声高に訴えていたんだよね。震災からわずか3週間後に。そう発言する勇気を見せられて改めて尊敬の念を抱いたし、その意見にはオレも同感。だって、こっちが必要以上に抑制したら、被災地の人々だって暗い気分になってしまうでしょう」
──では、被災していない私たちが個人レベルでできることとは?
「今すぐにでも実行できることといえば、コンビニで募金だよね。金額じゃなくて、気持ちの問題。あとは最近、被災地から上京してきた人も増えているみたいだから、そうと知ったら、ひと声かけてあげるとか。『大丈夫でしたか?』『みんなで頑張りましょう』と。小さなことでもいいから、できることから始める。それだけでもいいと思う」
──今回、福島と宮城を訪れて気づいたことはありますか。
「今の若者、特に20〜30代前半はみんな優秀! 震災に遭った時も、悪い意味での競争意識を出すことなく、自然と手を取り合い、助け合っていたからね。日本人特有の『和』を大切にする心は、オレらの世代より長けている気がしたね。だから、未来は明るいよ。オレと同世代かもっと上の人たちは競争社会の中で育てられたから、手を取り合ったり連合を組むのが下手。そういう点では、若い人から学ばせてもらったね」
同じ目標を持つ同士がいれば夢が桁外れと感じなくなる!!
次世代に期待の目を向けている蝶野さんに、夢を叶える秘訣を徹底的に質問!──蝶野さんが、プロレスラーになろうと決意したきっかけは?
「高校時代は大好きなサッカーに明け暮れていたんだけど、大学生になった20歳の頃、『将来はスポーツで食っていきたい』と思ったんだよね。で、テレビを観ていて心を惹かれたプロレスに挑戦することにした。20歳といえばスポーツ選手としては最後のチャンスだから、自分の限界まではチャレンジしようと決めたんだ。夢を諦めてもおかしくない状況にも遭遇したけどね」
──夢破れそうな時も、諦めなかった理由とは!?
「同期やライバル、先輩といった目標となる人たちが自分のすぐそばにいたから、自分としてもプロレスラーになることが桁外れな夢だとは感じなかったから、かな。同じ夢を目指す人たちに囲まれていると、夢が遠いものとは思わなくなるんだよ。オレが若い頃、当時からすでにスーパースターだった猪木さんの付き人になれたことは、すごくラッキーだった。すごい! としか言いようがないビッグな人なんだけど、普通の人間としての一面も垣間見せてくれて。だからオレも、プロレスラーになるのは叶わない夢じゃないと希望を持つことができた。夢を実現したいなら、まずは先輩や同志の懐に入り込む。これがコツだね」
──ですが最近は、すぐに夢を諦める人も増えているんですよね。
「諦める、というよりも、いろんなジャンルの仕事を経験することは、悪い結果には繋がらないと思うよ。人を相手にして学んだ〝人間学〟は他のステージでも通用するから。1つの仕事しか経験していないヤツよりも、複数の仕事を経験してノウハウを持っているヤツが勝つ。そういう時代になるんじゃないかな」
十年後はプロモーターとしsてプロレス人気を再燃したいね
同じ夢を持つ同志に囲まれいろんな仕事を経験した者が勝つ。これは蝶野さん本人の体験談だ。──蝶野さんは、プロレス人気が下降気味の時代にレスラーになりましたよね。
「そう。〝プロレス氷河期〟で、テレビ番組ではゴールデンはおろか、放送自体も危ぶまれていた。だからリングの外、バラエティ番組やこういう雑誌に出て、プロレスの良さをアピールしなければならなかったんだよね。今はようやく慣れたけど、昔は苦手だった。でも、リングの外で仕事をしたからこそ吸収できた部分もある。だからこそ若い人には、いろんな仕事を経験してほしいんだよ」
──では、プロレス界の重鎮として10年後の目標は?
「この業界をもう一度、盛り上げたいよね。今年48歳になるから、10年後はリングから降りているかな。(過去の本誌をめくりつつ)…でも、藤波辰爾さんや長州力さん、初代タイガーマスクさんが現役で頑張っている姿を見たら、そうとも断言しづらい(笑)。諸先輩方は、致命的な怪我をするかも知れないリスクを背負いつつ戦っているんだから…本当にすごいよね。でもオレはできれば、リングと観客を繋ぐ、プロモーター役に回りたい。10年前は40歳でリングを降りると宣言していたけど、状況がどうなっているか、今はまだ読めないけどね」
──最後にお聞きします。プライベートで幸せを感じる瞬間は。
「子どもと遊んでいる時かな。4歳と1歳でまだ小さいから、子ども時代を追体験しているんだよね、最近。アンパンマンランドへ行ったりファミレスへ頻繁に通ったり昔は人がいない場所を探して行っていたのに、今は子どものお陰で人が大勢いる場所へ自然と引っ張り出されている毎日。で、公園でもママさんたちがオレだと分かっているのにお互いに声をかけづらくて、公園が微妙な空気に包まれるという(笑)。50歳近くになって子どもの世界に触れると、年齢を忘れさせられるんだよ。これが若さを保つ秘訣になるかもね」
仕事を語る時には熱く、私生活を聞かれた際はやや照れつつ。この『ツン』と『デレ』のギャップが人気の源かも!? 真摯な答えの数々ありがとうございました!!
INFORMATION
【INFO】
マルティーナ夫人と二人三脚で立ち上げたオリジナルブランド『アリストトリスト』が、東日本大震災被災地支援チャリティーTシャツ「ATニューアーチロゴTシャツ」(カラーは3色、各4000円)を販売中だ。蝶野さんが贈る支援メッセージは「ONE LOVE がんばろう日本」。1枚につき1000円を、日本赤十字社を通じて東日本大震災の被災者へ義援金として寄付している。
公式HP
PROFILE
蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)
1963年9月17日生まれ アメリカ・シアトル出身
84年に新日本プロレス入門。87年3月、海外遠征に出発。89年10月に帰国後、91年8月、第1回G1クライマックスに優勝し大躍進を遂げる。G1は前人未踏のV5を達成し、92年8月には第75代NWAヘビー級王座を奪取。96年にはnWoを設立して一大ムーブメントを起こしその後、TEAM2000を結成するなど〝黒のカリスマ〟としてプロレス界に君臨。10年2月に新日本プロレスを離れてフリーになったが今なお絶対的な存在感を放ち続けている。現在はリング以外にも活動の幅を広げ、テレビのバラエティやラジオ、CMにも出演。また、自身初のビジネス本「会社に負けない喧嘩の仕方」を上梓するなど多方面で活躍。最近は救急救命啓発活動やAIDS予防啓発活動に力を入れている。
公式ブログ
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マルティーナ夫人と二人三脚で立ち上げたオリジナルブランド『アリストトリスト』が、東日本大震災被災地支援チャリティーTシャツ「ATニューアーチロゴTシャツ」(カラーは3色、各4000円)を販売中だ。蝶野さんが贈る支援メッセージは「ONE LOVE がんばろう日本」。1枚につき1000円を、日本赤十字社を通じて東日本大震災の被災者へ義援金として寄付している。
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蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)
1963年9月17日生まれ アメリカ・シアトル出身
84年に新日本プロレス入門。87年3月、海外遠征に出発。89年10月に帰国後、91年8月、第1回G1クライマックスに優勝し大躍進を遂げる。G1は前人未踏のV5を達成し、92年8月には第75代NWAヘビー級王座を奪取。96年にはnWoを設立して一大ムーブメントを起こしその後、TEAM2000を結成するなど〝黒のカリスマ〟としてプロレス界に君臨。10年2月に新日本プロレスを離れてフリーになったが今なお絶対的な存在感を放ち続けている。現在はリング以外にも活動の幅を広げ、テレビのバラエティやラジオ、CMにも出演。また、自身初のビジネス本「会社に負けない喧嘩の仕方」を上梓するなど多方面で活躍。最近は救急救命啓発活動やAIDS予防啓発活動に力を入れている。
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取材・文/内埜さくら 撮影/おおえき寿一