権力闘争には興味がないけど表現意欲だけは旺盛だった
ロックミュージシャンでありながら、作家としても高い評価を受けている大槻ケンヂさん。まさしく「好きなことだけをやって生きて行く」スタイルが若い世代からも憧れられている。 そんな生き方の根底にあるものとは?
好きなことで生きていくには〝才能と運と継続〟
筋肉少女帯のヴォーカリスト、作家、エッセイニストとして幅広く活躍する大槻ケンヂさん。近著「サブカルで食う 就職せずに好きなことだけやって生きて行く方法」(白夜書房刊)は音楽業界のみならず、サブカルの先駆者としても注目を集めている。ドカント読者からも絶大な支持を集める大槻さんの生き方、人生観を聞いた。
男性社会の権力闘争の洗脳から逃れろ
──早速、聞いてしまいますが、この著書で一番伝えたいこととは何でしょうか。「伝えたいこと…なんだろうなあ。結論から言うと、就職しないで好きなことで生きて行くには『才能と運と継続』と、あと底上げしたいシーンの有無、人前で恥をかくことを恐れない。これらだってことかな。それがあると、実はどんな世界でもやっていけるんだってことですよね。御誌ドカント読ませてもらって、ドカンと一攫千金を夢見てるというか、大変だなあと思いましたね。多分、才能と運と継続の中の運をなんとか見つけ出せないかなと思っている方々が読者に多くおられるのであろうなと感想を抱きましたよね」
──大槻さんにとって、才能、運、継続の中で、成功に導かれたモノを1つ挙げるとすると?
「僕が成功してるかしてないか分からないですけれども…運にだけは恵まれてましたよね。まず、東京生まれの東京育ちで、家がとっても貧乏ってこともなかったから。(実家が)中野の辺りだったんだけど、もう10キロ家が都心から離れてたらヤンキー文化があったんだよね。それにも関わらずに済んだしね。それから、まだSNSがない時代で、携帯電話もなかった。その頃本当に、たまたま文化的なメジャーな世界で活躍している人たちと出会ってるんですよね。これは、SNSや携帯がなかったので、そういう今でいうサブカル、オタク、マニアックなことをする同世代の人と出会うにはライブハウスしかなかったんです。それでみんな友だち作りたいから、無理くりバンドを作って出てたのね。楽器できない人もいっぱいいましたよ」
何もできなかったことが活動の原動力
──1つの分野で成功するのも大変なのに、いろいろな分野で成功し、活躍してしまう、その原動力は?「成功か活躍かは別として、どうかな、ホント、何もできなかったからなんですよ。運動もできないし勉強もできない、アルバイトやると1日でクビになるんですよ。本当に。浪人生の頃かな、コンビニでバイトしたら数日でクビになって、お金だけひょこひょこもらいに行ったんですよ。そうしたら、僕のシフトの大槻って欄に『ダメな奴』と書いてあったんだよね。ホント、忘れられない……」
──でも、そんなダメな奴だった大槻さんが、どうして今これほどの活躍を…。
「活躍してないけど、それも、何もできなかったからかな。僕は、音符も読めないし、元々はベースだったんだけどベース弾けないから歌に回されたっていう経緯もあるしね。声は出るからっていう(笑)。という感じで、小説にしても、最初は漢字すら書けなくて、小説書いた時、1行目の〝僕は…〟って書いたんですけど、その〝僕〟の字が間違えてたっていう、それくらいひどかったんです」
──えっ? 今のご活躍からは考えられませんが、本当に、何もできなかったとしても、何かあったんじゃないですか。
「ああ、権力闘争にまったく興味がないのとは逆に、表現意欲だけは旺盛だったんですよね。人の上に立ちたいとは思わない、自分を使って人に表現で喜んでもらいたい。ただの目立ちたがり屋だったのかもしれないですけどねぇ」
──そんな大槻さんが、成功するには、儲かるためにはどうしたらいいか、読者にアドバイスをするとしたら…?
「まず、おそらく読者の方は男性社会の権力闘争の洗脳にどっぷりやられちゃってると思うんですね。それから一回絶対逃れた方がいいのでは。成功として、キャバなおネエちゃん連れて、高級車に乗って、高層マンション住んで、ドンペリ開けてって図は、男性社会の洗脳だから。本当はそんなもんは幸せでもなんでもない。そこを目指しちゃダメ。それは誰かがお金を吸い上げるために作った社会の嘘だから。それを目指してちゃダメですよ、と言いながら、今日、僕、アルマーニのパンツでブライトリング(の時計)なんですよね…」
──あらら。やっぱり成功者はそうですよ! どうやったら貧乏から抜け出せるんですか!
「いや法事でさ、たまたま。本当は服とか時計とかどうでもいいの。それに、この靴は6千なんぼかだし、シャツはもらったやつ…。男性社会の権力闘争とは違う幸せを僕は目指しています」
──大槻さんの思う人生の成功ってどんな姿なんですか。
「それはねぇ、46歳になって…見えないんですよね。でも、ドンペリジャグジーではないのは確か。僕ね、お友だちに着エロとかやってたコがいて、本当にドンペリジャグジーの世界はあるのかって聞いたら本当にあるんだって。でもそういうの聞いて羨ましいと思わないもんなあ。やっぱりね、あれ、理想としてはムーミンのスナフキンみたいな感じなんだよね。ああいう風のように生きたいんだよね」
──では、これから、どんな人生を過ごしてどんな夢に向かっていくのでしょうか。
「50歳の時に、オレ結構やったなって思えるようになってるといいなと思って、ギターで弾き語りの練習してるんですけど、50歳になった時にそこそこ弾けるようになって、歌って旅したいな。それから…そうだな、運動が全然できないってコンプレックスがあったんですけど、今から鍛えて50歳の時に何らかの級とか段とか分かんないけどフルマラソン走り切るとか、何でもいいんだけど、人生半ば過ぎて今まで結構頑張ったなって思えたら楽しいかなと思って。(50歳まで)1オリンピック期間だから、カンボジア代表で猫ちゃんと、猫ひろしさんと一緒に走れたらなんて(笑)」
人前で恥をかくことを恐れない
──ソロで弾き語りのライブもされてますよね! オリジナル曲をやられてるんですか?「自分で鼻歌で曲を作って、それをギタリストとかにコードを取ってもらって曲にしていってるんです。コードを教えてもらって、自分の作った曲を教えてもらって練習しているという。でも始めたばっかで中学生レベルです(笑)」
──最後に若い読者の方にひと言、お願い致します。
「自分の夢というものをもう一回検証するのもありかと、もしかしたらその夢が単に男性優位社会が仕組んだ洗脳かもしれない。そこから逸脱した方がよっぽど人生楽かもしれない。ということをみなさんに考えて欲しいなということを、ブライトニングとアルマーニで言う。……ちょっと今日はチョイスを間違えました。法事で」
飄々とした語り口で、本質をズバリと突く大槻さんのインタビューは、始終笑いの絶えない楽しいひと時だった。今後も筋肉少女帯としてのライブ、ソロでの弾き語りと、大槻さんの「好きなことだけをやって食う」生き方は変わらない。その活躍に注目されたい。
PROFILE
大槻ケンヂ(おおつき・けんぢ)
1966年2月6日生まれ 東京都中野区出身
82年にロックバンド筋肉少女帯を結成し88年、アルバム「仏陀L」でメジャーデビュー。不条理、幻想的な詩世界と卓越した演奏が織り成す独自の世界観で一躍人気バンドになるも、98年7月に活動を凍結。06年に8年の歳月を経て活動再開、今年結成30周年を迎えた。00年、特撮を結成。自伝的小説「リンダリンダラバーソール」、青春ロック小説「ロッキンホースバレリーナ」ほか著書多数。近著に「サブカルで食う 就職せずに好きなことだけやって生きていく方法」がある。ロックミュージシャン、作家、エッセイストとして活躍中。「結成30周年記念&『筋少動画』発売ツアー!筋肉少年少女隊」の真っ最中で、6月29日には東京・日本青年館でライブを行う。
公式HP
公式ブログ
大槻ケンヂ(おおつき・けんぢ)
1966年2月6日生まれ 東京都中野区出身
82年にロックバンド筋肉少女帯を結成し88年、アルバム「仏陀L」でメジャーデビュー。不条理、幻想的な詩世界と卓越した演奏が織り成す独自の世界観で一躍人気バンドになるも、98年7月に活動を凍結。06年に8年の歳月を経て活動再開、今年結成30周年を迎えた。00年、特撮を結成。自伝的小説「リンダリンダラバーソール」、青春ロック小説「ロッキンホースバレリーナ」ほか著書多数。近著に「サブカルで食う 就職せずに好きなことだけやって生きていく方法」がある。ロックミュージシャン、作家、エッセイストとして活躍中。「結成30周年記念&『筋少動画』発売ツアー!筋肉少年少女隊」の真っ最中で、6月29日には東京・日本青年館でライブを行う。
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取材・文/馬場英恵 撮影/谷口達郎