相方募集サイトで出会った二人。たけるさんの備中神楽の節回しを取り入れたツッコミと、ショーゴさんの〝舵取り〟で17年には「Mー1グランプリ」準決勝進出、18年の「ABCお笑いグランプリ」準優勝と順風満帆な船出を飾る。そして「Mー1グランプリ2020」ではファイナリストに名を連ね、売れっ子芸人の仲間入りを果たす。だが、知られざるドン底期もあったという。苦難時代をどう乗り越えてきたのか。現状に満足せず、様々な武器を携えて進化する――。そんな二人の〝闘い〟はまだまだ続く。
『一緒にライブに出ていた人たちが賞レースで結果を出しているので負けないように』
『常に進化する。考えすぎず好きなことをやっていった方がいいと思うようになった』
『常に進化する。考えすぎず好きなことをやっていった方がいいと思うようになった』
ショーゴから告げられた将来像が想定通りにきていてラッキー(笑) ──「洒落柿」「孔雀緑」に続く第3回単独の情報が出ました。今回も色がテーマですか。
たける「長くやれたらいいね、と色縛りにして。『銀鼠』(ぎんねず)は特に理由がなく、カッコいいかなって」
ショーゴ「色を和名で調べると、いろいろ種類があってカッコよくて響きがいいヤツを選んでます。第1回単独の時に『色でやろう。銀鼠がいい』となったんですが、一発目は違うなあ、後で使おうと封印してました」
──新作の漫才やコント、幕間VTRなどはすべてこれから?
ショーゴ「Mー1があるので」
たける「真っ最中です」
ショーゴ「2回戦の結果が当日出て3回戦に進みました」
──渋谷を皮切りに全国8会場を回ります。各都市で違いは。
たける「ウケるポイントだったり全然違いますね。岡山は地元なので、ほぼ知り合いが来ている状態でほかとは雰囲気が違う」
ショーゴ「『元気にやってます』みたいな顔見せで」
──楽しみにしているのは。
たける「毎回聞かれるんですけど前2回とも行って帰ってなので…。今回は『前乗りか後泊のどっちかできるようにしましょう』と事務所に話をしました」
──どこ狙いですか。
たける「福岡、札幌ですよね。札幌はニッカウヰスキーのネオン看板前で写真を撮りたい。路上からバニーちゃんのお尻が丸見えの店があるという話だけ聞いてます」
ショーゴ「知らないなあ。各都市のゴールドジムは回ったんですが札幌だけまだなので後泊や前乗りがあるなら行きたい」
──17年にはMー1で準決勝進出。そして20年にはファイナリストと順風満帆に思えます。
たける「そう言って頂けることが多いですね。初めてMー1で準決勝に進んだ時はまだ大学生でした。出会ったのが19歳で」
ショーゴ「20歳です。それがもうすぐ30歳かあと」
──コンビ結成時の青写真は?
たける「ショーゴから言われた展望がほぼその通りになって。Mー1だけ遅かったのか?」
ショーゴ「5年後だったのが6年経ったので」
たける「想定通りに来ているので僕的にはラッキーかな(笑)」
──一方で辞めることを考えた時期もあったそうですね。
たける「19年のMー1で負けた後、
次で結果が出なかったら。19年から20年にかけて下降線を辿るんです。すごいタイミングで〝第七世代〟という言葉が生まれてフィーチャーされる。賞レースで霜降り明星さんやハナコさんが優勝する。仕事が徐々になくなっていって給料的にもヤバいぞと」
──辞めずに踏みとどまって今がある訳ですが。
たける「20年のMー1決勝がデカかったですよね」
ショーゴ「決勝に行く前は給料3~4万円で家賃も払えないぐらい。決勝に行かなかったらヤバいかもねって話をしました」
たける「ファイナリストは一番の分岐点で自信に繋がりました。なんでもないヤツらがテレビにお邪魔しますよという感じだったけど仕事をする上でひとつ胸を張れるものができた」
ショーゴ「少ないライブ数でネタを仕上げるのをテレビ出演が増えたタイミングでもやっていたので(本数が減った)コロナ禍にほかの人より有利に働きました」
声量があるたけるの節回しで面白フレーズを言わせるのがベースに
──周りの反応や変化は。
ショーゴ「スタジオやロケが増えてこんなにも違うんだと。冠番組も持たせてもらえて大きく変わりました」
──参戦中のМ-1の意気込みを。
たける「もう一回、決勝に!去年、同郷の先輩ウエストランドさんが優勝しているのでそれに追いつけ追い越せじゃないですけど。優勝したら出なくていいじゃないですか。毎年この時期になったら…」
ショーゴ「結成16年未満までなのでまだ6回出られる」
──今後も参戦を?
ショーゴ「となったらどこかで漫才を変えたいしラストイヤーまで出るとしたら今とまったく違ったものになっていたら面白いなと」
たける「優勝しない限りMー1が終わってもTHE SECONDというえげつない大会が始まったので出ざるを得ない」
ショーゴ「賞レースに優勝すれば出場資格がなくなる。高校にもう一回入り直してハイスクール漫才で優勝して、も考えたり…」
──お二人が芸人を志したのは。
たける「大学進学で上京して何でもいいから有名になりたかった。『爆笑レッドカーペット』『エンタの神様』ぐらいしか観てないんです。今はどの芸人よりお笑い番組を観ていますけど(笑)」
ショーゴ「お笑いに携われたらと養成所に通うも辞めて、相方募集サイトでたけるに出会った。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』のフリートークや『神さまぁ~ず』とかを観て憧れて芸人になろうと」
──東京ホテイソンさんといえば、たけるさんの「備中神楽風ツッコミ」で注目されました。
たける「ネタ合わせしてたんですがなぜか歯車が合わなくて当時、一緒に住んでいたので家でのノリ、普段の感じをやろうと」
──反応はどうでしたか?
ショーゴ「お客さんにウケるというよりも袖の芸人がバーンと笑う感じですかね。いろんな先輩が言うんです。『小さな事務所の芸人は袖7に対し、お客さん3ぐらいの割合で笑いを取れないと世に出られない』って。芸人の口コミで『コイツら面白い』とならないとダメらしく、いかに同業者を笑わせるかを意識してました」
──その後、回文や英語をモチーフにしたネタが生まれます。
ショーゴ「たけるは声がデカいので、あの節回しでわあーと単語を言わせればウケると気づいた。面白フレーズを言わせようとネタ作りをしてます」
たける「回文は、いかついですよね。意味が分からない」
ショーゴ「それでも、あの声量で言ったらウケるんです」
コントもそうだしキャラクターやピンネタも作り武器を増やしたい
──仲がいい芸人さんとエピソードを伺えますか。
たける「カカロニさん。栗谷さんは童貞イジリされてますけど男らしく兄貴肌で。20年のMー1の話なんですが午前3時ぐらいまで打ち上げ配信があり終わって帰ったら家の前で栗谷さんが待っていてくれて『イヤだろ1人でいるの』と。で、コロナ禍だったのでマスクしてて取ったら顔に落書きを仕込んでたんです。腹が立って『何やってんだよ!』と(笑)」
ショーゴ「ショーゴ軍団は元々4人いたんですけど2人がコンビを解散してしまい…。ウォーターズとうとよく飯に行くんですが金がかかるから高いところに連れて行かないと決めてる」
たける「聞いたけど、ゆでそばの店で熱い話をするんでしょ」
ショーゴ「立って話してます。この前『好きなもの頼んでいい』と言ったのに気を遣って遠慮しまくりでファミレスへ(笑)」
たける「ヤバッマジで。絶句…。僕はとうの相方・魂人と週1ぐらいで飯に行ってるのに」
──小誌が求人情報誌なのでアルバイトの話もいいですか。
ショーゴ「居酒屋の半兵ヱって分かります?昭和レトロな店で揚げパンとか出してる。18歳から2年ぐらい働いてました。チャラチャラしててあの時はモテました。自分、工程が体で覚えやすいものしかできなくて飲食店でホールは出れず常にキッチン。会計もできない。お酒を一杯しか飲んでないお客さんに違う会計を渡して3万円ぐらい取ったことがあります。やらかしても焼き鳥やピザを焼くのがめちゃくちゃ上手かったのでクビにはならなかった。あとは自販機に飲料を補充する仕事。最後までやったのが500円ピザ屋ですね」
──どのタイミングで卒業を。
ショーゴ「ヒモになった時です」
たける「そこかあ~」
ショーゴ「たけると一緒に住むのより半年早く女の子の家に転がり込んでバイト辞めました。売れるから!テレビに出るから!と言って。半年後には『ネタパレ』が決まりました。それが2年目の後半で芸人になってからバイトはそれしかやってない」
たける「僕はステーキ屋が最後で1年半ぐらい。あと串カツ屋さん、古着屋さん。芸人始めてから3年やってるぐらい。ギリギリですけど本業でご飯を食べられるようになったのは早かったです」
──早い段階で世に出た故の悩みなどは。
たける「この先どうなるのかは分からないし今を頑張るだけです。昔、よく一緒にライブに出ていた人たちがMー1の準決勝に進んだり決勝にも出てきているので負けないようにどうするかって感じですよね」
──出会いから10年目を迎えた東京ホテイソンの今後について。〝舵取り役〟でネタ作り担当としてのお考えは。
ショーゴ「漫才が、今の形で出たのが一番の悪い原因だと思うんですけど、悪いというかあれしか求められないことがあまりにも多くて、それが嫌になって嫌になって今がある。『あのツッコミだけになったら終わるから』と言われ、それ以外の印象付けにと筋トレを始めたり、そういうものをもっとやっていかないと。漫才が主戦場ですけどコントも単独ライブでやっているし、キャラクターやピンネタも作っていこうと。今の漫才だけじゃないと思われたい。裸でMー1に出るぐらいの気概があってもいい。『それじゃあ決勝なんか行けない』と言われたって『面白かったら行ける』と最近思うようになった。あと、金髪にして感じたのが人って何も思わないというか、チャラついていると言われると思ったらそうでもなくて。最初は驚くけど2時間もすれば慣れる。考えすぎずに好きなことをやっていったほうがいいと」
INFORMATION
東京ホテイソン
15年にコンビ結成。「M-1グランプリ」は17年、18年、19年、21年と準決勝進出、20年はファイナリストとなった。「M-1グランプリ2023」参戦中。TBS「ラヴィット!」、テレビ東京「エンタメヒーロー!7ホテ」レギュラー。第2回単独公演「孔雀緑」のBlu-rayが発売中だ。24年1月14日(日)愛媛県県民文化会館メインホールでの「笑いイチ in 松山」に出演予定。第3回単独公演「銀鼠」が24年3月5日(火)の東京・渋谷から全国8か所11公演で行われる。
ショーゴ
1994年2月1日生まれ 東京都板橋区出身
公式Twitter
公式Instagram
たける
1995年3月24日生まれ 岡山県高梁市出身
公式Twitter
公式Instagram
東京ホテイソン
15年にコンビ結成。「M-1グランプリ」は17年、18年、19年、21年と準決勝進出、20年はファイナリストとなった。「M-1グランプリ2023」参戦中。TBS「ラヴィット!」、テレビ東京「エンタメヒーロー!7ホテ」レギュラー。第2回単独公演「孔雀緑」のBlu-rayが発売中だ。24年1月14日(日)愛媛県県民文化会館メインホールでの「笑いイチ in 松山」に出演予定。第3回単独公演「銀鼠」が24年3月5日(火)の東京・渋谷から全国8か所11公演で行われる。
ショーゴ
1994年2月1日生まれ 東京都板橋区出身
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たける
1995年3月24日生まれ 岡山県高梁市出身
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Interview&Text/立花みこと Photo/渋谷和花