〝元自衛官芸人〟のやす子さん。22年にブレイクし年が変わっても人気は加速。情報番組や地方&海外ロケのバラエティ番組出演など「テレビで見ない日はない」売れっ子の仲間入りを果たした。最近は曲を作ったり絵を描いたり多才ぶりでも知られるやす子さんに芸人の道に進んだ経緯から陸上自衛隊時代のエピソード、SNSへの向き合い方、今後の展望までインタビュー。お笑いの世界に居場所を見つけた彼女の進撃はまだ始まったばかりだ――。
『人を信頼する&やれば伸びるの経験は現在の仕事に大きく役立っています』
お笑いでご飯が食べられて幸せです!継続できるように頑張ります
──「テレビで見ない日はない」状態で多忙じゃないですか。「いやいやいや…。忙しいと言われている間はダメなので継続できるように頑張ります!好きなお笑いでご飯が食べられて、絵を描きたかったら描いて音楽を作りたいと思ったら作って。こんなにいい思いをしていいのかなって」
──それでも大変だった時期はあったのでは。
「2年前ぐらいは、悪い言い方をするとなりたくて芸人になったワケではないので『も~なんなんだ、この世界』って。楽しさを見つけて変わりました。ハリウッドザコシショウさんの単独ライブをお手伝いした時に『ちゃんとやるか』と思ってからは、はい~」
──芸人の道に進んだのは?
「友だちにお笑いコンビを組もうと誘われ、いろいろな事務所に応募したんです。その中でソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)から連絡があり、ソニーってめちゃめちゃ大手じゃないですか。期待して向かったのが千川っていう都心から離れた場所にあるビルの地下で、騙されているんじゃないかと。そのまま12段階ある一番下のライブに出て、その後の面談でマネージャーの平井さんに『どうしてここに来たの?』と聞かれたんです。今までの経緯を10分ぐらい話したら『そういう人は売れるっていうよね』と言われ、お笑いのこと何も知らないのに私も売れるんだと(笑)上京してすぐで居場所がなかったんですが劇場のびーちぶに行くと誰かしらいるので習いごとを始めるぐらいの軽い気持ちでなりました…」
──それが19年9月29日。
「そうです!ピン芸人として活動を開始した日で、21歳の誕生日のすぐ後でした」
──そこで、あっぱれ婦人会の天野裕加里さんと…あれ?前に並べた見本誌が組体操みたいに。
「あーごめんなさい。世界で一番手癖が悪くて。怖いですよね、分かります。でも気にしないでください。天野さんですよね?小屋に続く階段でネタ合わせをしていたのがあっぱれ婦人会さん。SMAで一番最初に出会った方々で劇場内を案内して頂きました」
──〝東京の母〟天野さんも同席の「しゃべくり007」出演はいかがでしたか?
「売れたなあ~って(笑)冗談ですけど。あの時はうわっ!と思ったのと同時に、これにおごらず頑張ろうという機会になりました。2時間ぐらいの収録が扉が開いたらアドリブで始まるんですよ。バイきんぐさん、錦鯉さんの大先輩が出てきて驚きましたし、その中にきっと誰も知らないであろう天野さんがいて一緒に仕事ができたのがうれしかったです。はい~!偉そうに言える立場じゃないんですけど、あっぱれ婦人会さんは面白いので売れて欲しいです」
──お笑い芸人の仕事が向いていたんでしょうか。
「有り難いですね。自分は1年間で15回ぐらいバイトをクビになったり社会不適合者かなって思っていて、高校生ぐらいまではイジられるのとイジメの間をさまよっている感じで。それが芸人になると周りが優しい人ばかり。例えばライブの日に迷彩服忘れても笑ってくれるような、人に対して中指を立てても許してくれる世界というか優しいところが居心地がいい。カフェでバイトをしていた時の話ですが見たことがない食洗器をゴミ箱だと思ってゴミをいっぱい入れて。ヤバいですよね、自分でも怖いなあと思います。遅刻魔でサボり魔で芯がなくて」
──それはいつ頃の話ですか?
「高田ボル子ちゃんと同居していた時で『ぐるナイおもしろ荘』に出演した直前まで深夜にヤダよぅと言いながら行ってました。『おもしろ荘の放送があるので大晦日は休みをください』とお願いしたら『忙しいからダメだよ』『テレビに出るので…すいません』というやり取りは今も覚えてます」
退官後は人と関わらない仕事をしようと決めてましたが… ──退官後は上京されて清掃の仕事に就かれたんですよね。
「中学校の用務員さんと官公庁のトレイ掃除をやってました。その時は、今後の人生は誰とも関わらない仕事をしようと絶対に!自分で貯めたお金で好きなことだけをやっていこうと。25歳で辞めようと事務所に入ったので必死さがなく、人生勉強でやってみようぐらいの感覚でした」
──自衛隊の2年間は?
「一任期ごと2年単位で辞める制度があり2年ごとに退職金が出るんですが、入隊した時は一生とは言わないけど長くやると考えてました。それが京都の駐屯地にいた時に『辞めよう』って」
──自衛官時代のエピソードを聞かせてください。
「真夏に20キロぐらいの荷物を背負って、山の中を40キロ歩く行軍訓練はキツかったです。誰よりも率先して動いたり訓練が終わった後に10キロ走ったり。朝起きて別の部隊に並んでいたこともありました(笑)ブルドーザーに乗せて頂いたり学生時代と違い楽しく居心地のいい場所で、ドンドン人生が楽になっていきました」
──資格取得も?
「大型特殊免許、大型免許、ほかにも取りましたが全然覚えてなくて。いろいろな紐の結び方や木の接合方法、心肺蘇生法など役立ちそうなことを教わりました」
──現在の仕事に役立っていることは何ですか。
「若手だとMCの方に臆してしまい前に出られないことが多い。でも自分は自衛隊時代に上官を信頼して助けてもらっていたので、初めて会った人にも信頼を置けるのが大きいと思います。よくライブで芸人仲間から『あのМC、初めてだから前に出られない』と言われますけど『何でもいいんだよ。拾ってくれるから』と返してます。あとは努力は実らない、一生懸命やっても壁があると思っていたけど毎日10キロぐらい走ったら一番なぐらい足が速くなった。努力をしてこなかった自分にとっては、やればできる、伸びるを実感できたのが大きかったです」
──お金の話もいいですか。
「給料は20万円弱。ただ家賃や食費がかからないので丸々10何万は貯まるしボーナスが3ヶ月分ぐらい出て、手取りは普通ですけどボーナスが良かったです」
──そうなんですね。大好きなラップも自衛隊時代に?
「出会いは小学生なんですが自衛隊にいた時に初めてサイファーを見ました。若手の自衛官は休みでもなかなか外出できないのでヒマで音楽を流してバトルを始めてってヒップホップ誕生のルーツと一緒なんです(笑)バトルを意識した、ラップを好きになったのはこの時期ですね」
『今の環境は驕らず悪さをせず感謝を言葉にして生きようと思わせてくれてます』
見ているだけで元気が出るアンパンマンのような芸人になりたい!
──音楽絡みでいえば「はじめてのきょく」が話題になりました。「何も考えず作っちゃったので。ツイッターに動画を投稿したんですが観て頂いてうれしいのと同時に音楽はどこにでも伝わっちゃうのでSNSをちゃんとしようと思いました」
──ツイッターやYouTubeも人気です。
「ツイッターは自由に、『やす子の生存報告記』は好きな人だけどうぞ~と。観られたくないのはYouTubeですね。私がイヤなのを知っているからスタッフさんがあえて目の前で流したりするんですけど恥ずかしいです」
──また話が戻りますが、現在も即応予備自衛官の活動を?
「即応ではなくなりまして、6月ぐらいから予備自衛官になります。即応予備自衛官は元自衛官がなるんですけど忙しくて訓練にあまり行けずスケジュールが合わなかったので訓練日数が少ない方に変わりました。20歳から24歳までは即応予備自衛官でした」
──衣装の迷彩服はどこで購入されているんですか。
「駐屯地の中にPXという売店があってそこで買うか、市ヶ谷とかの駐屯地近くのお店で購入しています。着ている迷彩服は訓練に参加できるものです。迷彩服ってリアリティがあってこれを着ているからよりキャラが際立っていると自分でも思います。値段は上下で2万円です」
──20万円の自衛隊時代と比べて売れっ子芸人の稼ぎは?
「ハイ!って感じですね。マニー、ハイって。こんなイヤらしい使い方をするとは思わなかったですよ。でも200万円ぐらい借金があったので。芸人1年目は年収5万円ぐらいで、今は同い年の方より多く頂いているかも。ただ来月、来年はどうなっているか分からない職業なので…」
──確かに。今後でいうと単独ライブを考えられているとか。
「構想を練っている最中です。フリースペースを会場に人が流れる感じでとか、使っているフリップを展示してみたりネタじゃないところも見て頂こうと考えを巡らせています。みなさんにお知らせできる日を楽しみにしてます」
──ほかに目標は?
「将来の夢かあ。先の目標を立てて叶わないと悲しいし、いつ死ぬか分からないので目標設定しないようにしてまして…。あ、ありました!アンパンマンみたいな芸人になること!あまり技量もないので、いつも明るく見ているだけで元気が出る芸人になりたいです」
──某ラジオ番組で「親知らずを抜いて以来、休みがない」とお話されてましたが、その後は。
「お休みは頂けてますが唐突にスゴく情報を頭に入れたい時期がくるんです。つい最近もありまして映画を観ながら1日で本を10冊近く読んだり、そういう時は休みを頂いてインプットしてます。あとスゴく疲れた時は、はい~」
──いろいろ話を聞いて現状の〝居心地の良さ〟を感じます。
「呪われたりしないか不安です。イヤじゃないですか、こんなペーペーがテレビに出て『やりたいことやってます』なんて言って。自分だったら藁人形で打っちゃうかも。しないですけど、したことはないですけど。なので驕らず悪いことをせずに生きようと思わせてくれているので今の環境はとても有り難いです」
INFORMATION
やす子
1998年9月2日生まれ 山口県宇部市出身
本名は安井かのん。高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。施設科に配属され、ドーザ手(ブルドーザーオペレーター)として2年間勤務。退官後、友人の誘いでお笑いを始めコンビとして現在の事務所に。ピン芸人として19年9月29日から活動を開始。元自衛官であることを生かしたネタを武器にライブシーンで活動する。日本テレビ系「ぐるナイおもしろ荘2021新年SP」に出演して知名度が上昇。21年1月からTBS系「サンデー・ジャポン」のリポーターを務め、バラエティや情報番組を中心に引っ張りだこ。KINCHO「コンバット」のCMに出演中。作詞、作曲、動画出演、MV、監督を担当した楽曲「はじめてのきょく」は半日余りで100万回再生と大バズり。SNSも人気でツイッターはフォロワー約23万人、YouTube「やす子の生存報告記」はチャンネル登録者数5万人超を誇る。
公式Twitter
やす子
1998年9月2日生まれ 山口県宇部市出身
本名は安井かのん。高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。施設科に配属され、ドーザ手(ブルドーザーオペレーター)として2年間勤務。退官後、友人の誘いでお笑いを始めコンビとして現在の事務所に。ピン芸人として19年9月29日から活動を開始。元自衛官であることを生かしたネタを武器にライブシーンで活動する。日本テレビ系「ぐるナイおもしろ荘2021新年SP」に出演して知名度が上昇。21年1月からTBS系「サンデー・ジャポン」のリポーターを務め、バラエティや情報番組を中心に引っ張りだこ。KINCHO「コンバット」のCMに出演中。作詞、作曲、動画出演、MV、監督を担当した楽曲「はじめてのきょく」は半日余りで100万回再生と大バズり。SNSも人気でツイッターはフォロワー約23万人、YouTube「やす子の生存報告記」はチャンネル登録者数5万人超を誇る。
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Interview&Text/立花みこと Photo/渋谷和花