久保田賢治からクボケンに、秋本智仁からトモに――。芸歴20年超のベテランコンビ5GAPがテレビ番組「いろはに千鳥」で改名してから1年が経つ。〝ホワイト赤マン〟のネタで人気を博し、クボケンさんのコミカルな動きと顔芸、トモさんの鋭く強いツッコミ、そしてドタバタ展開で笑いを取るコントが持ち味。恩返しを誓う二人は博多華丸・大吉さんや千鳥さんなど芸人仲間から愛される存在だ。その秘密を探ってみると…。バイトトークも交えながら、大いに語ってくれた。
『5GAPの番組に華大さんと千鳥さんに来て頂いて恩返しをしたいです』
養成所時代から評価が高く卒業後もすぐテレビに出させてもらった
──NSC東京の5期生として出会う前は?
トモ「2年半ぐらい美容師をやってました。お笑いはやりたかったんですけど、最初からコンビじゃないと入れないのかな?と思って高校卒業時に一度諦めた。でも働いている途中で1人でもイケることに気づき、仕事を辞めて…」
クボケン「小学校3年生の時に同級生4人で〝ぺ特戦隊〟というお笑いグループを作ってクラスで出し物をやったり『将来は芸人になろう!』と盛り上がっていたんです。それが進学でバラバラになったりで、それぞれ違う進路になった。僕は高校の担任の先生にも『お笑いをやりたい!』とずっと言っていて、進路指導の時に先生が持ってきた冊子にNSCがあり養成所の存在は知っていたので『ココに行きます』と」
──第一印象やコンビ結成の経緯について聞かせてください。
トモ「ライブに出るためのネタ見せオーディションがあってコンビを組みたいなと思っていたところに、授業でやったバケツを持ち上げるパントマイムがすごく上手なヤツがいたんですよ(笑)それが久保田で年も若いから誘って」
クボケン「3人組グループで仲良くしていたらある日、僕以外の2人から『コンビを組んだ』と告げられまして。めっちゃジャマじゃないですか。それからいろんなグループを転々として…。僕は群馬出身の田舎者だけど、相方は東京の人で身なりもちゃんとしていてクルマを持ってたんですよ!便利だ、なんか利用できるなと(笑)華があるヤツを探していたんですよ。今はこんなんですけど当時はお互い華があったから!」
トモ「またそれを言う。男前コンビでやっていてとか、誰1人信用しない。芸人界で一番、宣材写真が変わっている2人ですから」
──養成所時代から評判のコンビで評価が高かったそうですね。
トモ「トーナメント大会で準優勝したり、最初はトントンといってましたね」 クボケン「『はねるのトびら』の前身番組になる『新しい波8』のオーディションにも入れてもらって受かって、卒業後すぐにテレビに出させてもらいました」
──いい滑り出しですよね。
トモ「なにがなんだか分からない中…でも同期にキングコングがいたので」
クボケン「NSC大阪にとんでもない芸人がいる!っていうのは入ってくるんです。講師の方にも『大阪にキングコングというスーパースターがいるので、キミたちは売れません』と授業で言われたり」
──在学中は漫才もされていたと聞きましたが。
トモ「小さいころから漫才や新喜劇を見て育った2人ではないのでなにを見ていたかといえば〝ガキの使い やあらへんで!〟のフリートークとか。それを漫才だと思っていたんです」
クボケン「3分ネタなんですけど最初の1分半ぐらいずっと世間話をして(笑)」
トモ「NSCの講師もやっている山田ナビスコさんという構成作家さんから『久保田の動きって、歩数がコントっぽいんだよね。動くコントをやってみたら』とアドバイスを頂いて」
クボケン「歩数ってなんだよと思いながらやってみたら意外と楽しい。ウケるし、それがきっかけでコントに変わりました」
設定と衣装を組み合わせたネタで 知名度が上がり人気者になった!!
──そこからはコント一筋で。
トモ「なんでも演じられるのがコントのいいところですよね。医者になりたきゃなれるし、楽しみながらやってます」
クボケン「僕は変な格好をするのが楽しい(笑)あと、小さい頃に見ていたドリフが2人とも好きなので、真似ごとじゃないですけど気が付いたらそういう方向に」
トモ「ドタバタコントが古いという感覚もなかった。事務所ネタ見せの時に作家さんと、たまたま品川庄司の品川さんがいた時があって全力でやったら『古っ!1年目でしょ、古っ!』と」
クボケン「その時は品川庄司さんを知らなくて、めちゃめちゃ言ってくるなこの人って(笑)」
トモ「でも、いろんな先輩から同じことを言われて…」
クボケン「欽ちゃん劇団に入ってた?とか」
トモ「単独ライブでいつものコントをやった後に挑戦してみよう!と今風のネタをやったらお客さんの反応が散々でした」
クボケン「山小屋の設定のネタで、動き回るネタを見に来てるのに急に座って『うん。そうだよね』みたいな(笑)」
トモ「今まで濃厚な家系ラーメン出していたくせにオシャレなパスタを出しても…。暗転したら2人で何をやってたんだって」
クボケン「セリフは飛ぶし、魔の20分間(笑)向いてないので封印しました」
──人気キャラ「ホワイト赤マン」誕生については。
クボケン「好きな衣装を持ち寄っては、こんなコントもいいんじゃないとか考えたりしていたんです」
トモ「渋谷にガーディアン・エンジェルスという自衛団みたいな人がいて、ネタにできないかなと。街を勝手に守っている人という設定に、久保田が用意してきた衣装をちょい足しして」
クボケン「最初は相方が警察官役で『怪しいヤツがいると聞いたんだけど』で僕が出て行って『なんだコイツ!』という展開でした。先輩からアドバイスも頂き衣装にパーツを足して今の格好になりました」
──当初から劇場などでウケまくっていたんですよね。
トモ「『爆笑レッドカーペット』のお陰です。担当者から『世間が認知するまでは意外と時間がかかるから、同じことをやっていったほうがいい』と言われ、ホワイト赤マンだけになった。ただ1本しかないネタだったので毎週、新ネタを書くのはキツかった。ですけど、それでコンビ名を覚えてもらいました」
クボケン「レッドカーペット人気はすごくて出て行ったらキャー!となってましたから」
『いい年なので健康に留意しながらこれからも一生懸命コントを作っていく』
お世話になりっぱなしの先輩方を心配させないように売れたいです
──2年続けて準決勝止まりだった「キングオブコント」はいかがでしたか。
トモ「芸歴積んでも出られる大会でコントをやってきて、売れてもないし断る理由がない。ただ2回準決で負けてその前もずっと負け続けていてメンタルに良くない。お客さんも独特でいろんな芸人を賞レース前に見て『あのコンビはどんなネタを持ってくるんだ?』とか審査員の感じでくる。そういうのも含めて楽しめる大会だと思いますが、前の組が凝った設定でやっていたら恥ずかしい。フリになってウケる時もあるけど」
クボケン「頭を使うコントが続いてお客さんも『連続で8組は…しんどいなあ』という時に出るタイミングがきたら最高なんです」
──大会自体も変わりましたよね。
トモ「お客さんも…年取ってこの感じのコントをやっていると優しくなったなあと。以前は『いいよもう、そういうのは』という空気感がビンビン伝わってきた」
クボケン「ほかの芸人さんの時は目がキラキラしてるのに、僕らの時はどんよりとなって」
トモ「昔はそんな感じだったけどここ2年ぐらいなくなって。あと昨年の決勝を見ましたがレベルはドンドン上がっている」
──博多華丸・大吉さんや千鳥さんとよく共演されています。お世話になった方とのエピソードを教えて頂けますか。
トモ「大吉さんは、東京スポーツの連載コラムでまったく世に出てない頃から売れそうなランキング1位に名前を挙げてくれて。『ルミネで単独やるか?お前らのネタを見るライブを、俺が回しをやるから』と。集客できませんよと言ったら『後見人で同期のナイナイ岡村くんを呼ぶよ』って。僕らのことを知らないお客さんがたくさんくるんですけど『知ってもらうためにやったんだから』と2回も動いてくれました」
クボケン「千鳥さんは『いろはに千鳥』に呼んで頂いてから、一緒にお仕事をさせて頂く機会が増えました」 トモ「ノブさんと『チャップリン呼ばれてないの?権限ないけど言うだけ言っておくよ』というやり取りがあった後に『にちようチャップリン』が入ったので言ってくれたのかなって。感謝しかないです。華大さんも千鳥さんも僕らを呼んでなんのメリットもないのに宣伝してくれているので売れてないことが申し訳ない…それはずっと感じてます」
クボケン「そこだけは早く…恩返しを。先輩方に名前を出して頂いて呼んでもらえてますけど自分たちの名前だけで共演したいです」
トモ「今のままだと超癒着芸人になっちゃう。いい年ですし(笑)心配させないように」
クボケン「大吉さんにはプライベートも仕事の面でも支えて頂いて、ノブさんは会った時に『おもろいからスタッフさん使ってくれ~。内村さん笑ってたよ』とインスタで宣伝してくれました。大悟さんは表向き何も。ただ、こんなことがありました。同期のピース又吉から夜中の4時ごろに連絡があって『大悟さんと飲んでたんだけど5GAPがめちゃめちゃおもろかったわと言ってたよ。うれしくなって、こんな時間だけど電話したわ』って」
──小誌が求人誌なのでアルバイト経験のお話も聞かせてください。
クボケン「引っ越し屋、居酒屋、バーなどいろいろやりました。新宿の芸人バーは芸人だと名乗って遊びにくるお客さんを接客する。『なんか面白いことやれよ』とか平気でありました(笑)深夜なので時給も良くて、欠勤の融通も効いたのでみんなでやってました」
トモ「下北沢のイタリアンバーで働いていた時の話なんですが、この頭なので女性客に怖がられるからとカツラを被るように言われ、アヒージョを作っていたら引火してカツラを取ったらお客さんが驚いて時給が下がったことがあります(笑)あと、登録制バイトの時に役者を目指しているコがいて、芸人を隠していたら『オジサンも夢を見つけなよ』って。耳が真っ赤になりながら『うん、頑張ってね!』と(笑)彼が役者をやっていたら会いたいですね」
──今後の抱負をお願いします。
クボケン「単発でもいいので5GAPの番組に華大さんと千鳥さんにゲストで出て頂いて、これが一番の恩返しなのかな」
トモ「二人とも年取っているので健康には気を付けないと。久保田は健康を損なったことがあるので余計に思います。健康を守りながら恩返しをしていけるように一生懸命コントを作っていきたい」
クボケン「病気もしてお父さん、お母さんに迷惑をかけているので両親が生きているうちに売れて売れて良かったねと大団円で終わる人生にしたいと思います!」
トモ「目標や展望じゃなくて、人生の終わりの話をしてるよ!」
PROFILE
5GAP(ふぁいぶぎゃっぷ)
NSC東京校5期の同期で、99年にコンビ結成。「爆笑オンエアバトル」や「爆笑レッドカーペット」で披露したホワイト赤マンのネタで人気を博す。コミカルでインパクト大な動きと顔芸、鋭く強いツッコミ、ドタバタの展開で笑いを取るコントが持ち味のベテラン。21年3月放送のテレビ埼玉『いろはに千鳥』で久保田がクボケンに、秋本がトモに改名。その前後からテレビへの露出が増え始める。ルミネtheよしもと、ヨシモト∞ホール出演中。
クボケン(旧芸名/久保田賢治)
1980年10月10日生まれ 群馬県高崎市出身
公式Twitter
公式Instagram
トモ(旧芸名/秋本智仁)
1976年2月15日生まれ 東京都大田区出身
公式Twitter
公式Instagram
5GAP(ふぁいぶぎゃっぷ)
NSC東京校5期の同期で、99年にコンビ結成。「爆笑オンエアバトル」や「爆笑レッドカーペット」で披露したホワイト赤マンのネタで人気を博す。コミカルでインパクト大な動きと顔芸、鋭く強いツッコミ、ドタバタの展開で笑いを取るコントが持ち味のベテラン。21年3月放送のテレビ埼玉『いろはに千鳥』で久保田がクボケンに、秋本がトモに改名。その前後からテレビへの露出が増え始める。ルミネtheよしもと、ヨシモト∞ホール出演中。
クボケン(旧芸名/久保田賢治)
1980年10月10日生まれ 群馬県高崎市出身
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トモ(旧芸名/秋本智仁)
1976年2月15日生まれ 東京都大田区出身
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