お笑いコンビの〝当たり年〟と称される00年デビュー組。漫才の終盤で繰り出される「ごめんねごめんね~!」は一世を風靡し、13年前の「M-1グランプリ」以降、テレビでもお馴染みの顔になった。コンビ結成22年、芸能界の荒波を進んできたU字工事のふたり。「向いてないと思いながらもお笑いでメシが食えている自分を見ると、諦めずに飛び込んたらうまくいくことがある。一歩踏み出すだけで世界が変わる」「しっかり食って体力つけて、ちょっと運動しておけば他の人よりも上にイケる」とメッセージを寄せてくれた。
『一歩踏み出す行動で世界が変わる。誰にでも眠っている才能があるはず』
芸人一本で勝負!の決心がつかずとりあえず大学進学を選びました
──事務所所属のデビューから22年が経ちます。同期には売れっ子のお笑いコンビがズラリ。
益子「流れ星☆やタイムマシーン3号とはよく一緒にライブに出てました。『爆笑オンエアバトル』でも一緒で」
福田「僕らは『爆笑オンエアバトル』って最初、3回連続で落ちているんです。あまりにもショックで辞めようと思ったぐらいで…。先に受かっていた流れ星☆やタイム、磁石はすげえんだなと。ナイツやオードリーは、あまりオンバトには縁がなかったみたいで」
益子「流れ星☆やタイムマシーンは毎回ウケるし、全然上の人ってイメージでしたね」
福田「流れ星☆の2人はカッコいいし面白いし人気がすごかった。タイムの後の出番は、ずっとウケてるからやりずらかった」
──お二人は高校在学時から活動を開始され、当時は20年超のキャリアを想像できましたか。
益子「福田は家のだるまに『21歳までにレギュラー番組を3本持つ』と書いてました。だから、展望はあったんじゃないですか」
福田「もっと余裕で、できると思ってました」
益子「22歳ぐらいの時に慌てて消してましたけどね」
──将来こうなりたいとかは?
益子「途中で気づいたんでしょうね。あれ?あれあれっ?MCとかできねえなって。だから慌ててレギュラー3本の夢を消して」
福田「自然に進行して、お客さん笑わせて『はい!ではスタートです』みたいのが下手で」
益子「最近も『いつまで緊張してるんだ』と言われました。同期の話がありましたけど芸人仲間から『変わってないねえU字工事は』とよく…。見た目の話かと思ったら技術も変わってねえし」
──高校3年の時に芸人を志されるも大学進学を選んでますよね。しかも2人一緒で。
福田「僕が最初に桜美林大学の自己推薦を見つけて、抜け駆けして先に受けたら合格したので誘って受けさせました」
益子「『一緒に東京の大学に行ってやろう』と話はしていた。でも俺は別の大学を進学先に考えていて先生にも相談してたのに福田が『桜美林に受かったから』と。マジかあ…と思いながら受けたら合格したんです」
福田「感謝だよな(笑)」
益子「大変だったんだから!長い話ですけど、まとめると誘われて行ったってことです」
福田「芸人一本は考えず、大学に行きながらじゃないとやろうと思わなかった。親もたぶん許してくれないだろうし自分もまだ怖かったので」
──上京後のアルバイト先は、逆に益子さんの紹介ですよね。
益子「コンビニで深夜勤務ばかりしていたら眠くて学校に行けなくなり、違うバイトを探そうと。新聞の折り込み広告チラシで近所のマグネシウム工場の求人を見つけて、電話したその日から働いてました。その1か月後に福田が入ってきたんです」
福田「益子が断れずに取っていた新聞に助けられました。僕も断れないから取ってましたけど(笑)紹介で面接に行ったら『益子ちゃんの友だちだろ。じゃあ合格』と、マジメで信頼を築いていたので即採用されました。けど、僕は根性がないので、最初の頃は残業を一切せずにすぐ帰ってましたね」
浅草キッドさんの助言でライブでのウケが良くなって好転しました
──22年の長きに渡り活動してこられた理由を尋ねられたら。
福田「絶対にヤダ!という一線を越える時期がなかったこと。有り難いことに仕事がポコッと入ってそれが続くんですよ。なので辞めるタイミングはなかったです」
──どんな仕事、番組が思い出深いですか?
益子「まだ20代のころに出ていたテレビ朝日の深夜番組『虎ノ門』ですね。出演するのにその日の昼間にオーディションをやっていて、ダメだったら出られない」
福田「〝一週間テレビガイド〟というコーナーで、担当の局の番組を1週間分見て面白いエピソードをフリップにまとめて紹介する。オーディションに落ちると1週間が無駄になる…しびれました」
益子「あの頃ってDVDがないのでビデオテープに全部録画して、早送りしながら観てましたねー。あと地元のとちぎテレビが早くから声を掛けてくれて、サッカー番組とか、今でもやってる旅番組に使ってくれたんです」
福田「右も左も分からない時からカメラさんがロケの仕方を教えてくれました。東京でロケをやる時にも活きてます」
益子「でも、駅からの送り迎えが営業用のバンなので直角に座ったまま福島まで行くこともある。たまには背もたれが後ろに倒れるクルマに乗りたい」
福田「プロデューサーが運転しているんですけど、座席を後ろに倒すので右側は結構狭い。ただ、天然でいい人なので悪気があってしているワケではないので」
益子「フォローが早いね(笑)地元は有り難いです」
福田「『虎ノ門』の後にTBSの『ゲンセキ』という若手発掘番組でまたチャンスをもらえた。その後も『エンタの神様』『爆笑レッドカーペット』『いきなり!黄金伝説。』にナスDとの〝部族アース〟が話題になった『陸海空 地球征服するなんて』と仕事を頂いて続いていったんです」
──今やU字工事さん=栃木弁漫才ですが、当初は?
福田「栃木弁をウリにはしていなくて、ネタの面白さで勝負しているのに違うよなあって。そんな時に浅草キッドさんが〝浅草お兄さん会〟というライブを主催していて2人が直々にネタを見てくれるというので行ってみようと」
益子「水道橋博士が『訛っているんだから出したほうが売れる可能性はあるよ』と言ってくれたのを今でもはっきり覚えてます」
福田「キッドさんの漫才も観ていて、おもしれえなあと思っていた方に言われたのですぐに受け入れたら、明らかにライブのウケが良くなってオーディションにも受かり出した。早い段階でキッドさんに出会えたのは財産です」
──ファンだったんですか。
益子「中学とか高校の時、ビデオに録ったヤツを貸し借りして観てました。サザエさんの漫才とか、下ネタなんですけどリズムが良くて面白いんですよ」
福田「浅草公会堂で行われた漫才協会第28代真打ち昇進披露にも来て頂きました」
『体力は大事!しっかり食事を摂って運動すれば人より少し上にイケる!!』
やる気はありますが搭載エンジンが小さいから目前のことで精一杯
──ターニングポイントとなった出来事を教えてください。
福田「08年の『M―1グランプリ』決勝進出は大きいですね。決勝に行かないと、しかもそこである程度はウケないとメシが食えるようにならないと思っていたので」
益子「当時のМ―1は吉本の芸人さんばかりで、ほとんど枠がなかった。決勝に行くの一組か二組ぐらいだろう吉本以外はって…」
福田「前年にサンドウィッチマンさんが敗者復活から決勝に行って優勝した。サンドさんとは仲良くさせてもらっているので、少しでも追いつかないか!と頑張った年に行けたので嬉しかったです」
──漫才協会については。
益子「ナイツ塙さんにずっと誘われていたんですよ。二人に合ってるからって。演芸好きだし良かったんですが、タイミングが合わなくて。怪しんでいたのもあるんですけど(笑)大丈夫か?と」
福田「厳しかったらどうしようかなとか。プレッシャーのある仕事が続いてストレスを感じた時に、演芸場で好きな漫才やってウケてるのはすげえ気持ちいい。心のバランスが取れてます」
──これからも主戦場の1つで?
福田「ナイツともよく話すんですが、師匠たちを見習って僕らの世代も頑張ってお客さんを呼べるうちに若い子にも育ってもらい、彼らが売れて僕らがジジイになった時に食わせてもらう。いいサイクルができればいいねって」
益子「若い人にもステージを観て欲しい。全然ウケてない時もありますけど…。今日は温かいねという日と、誰か死んだの?ってぐらいの差が。それも含めての漫才協会なのでビックリしないように」
──今後の目標は。
福田「(手相鑑定の)島田秀平さんに言われたんですけど、秀平さんが長野県出身で長野の方はマジメな人が多い。同じ栃木出身のザ・たっちが番組をやっているんですが信越の人にハマっているらしく『U字工事もマジメだから合うよ』と。そういえば!と振り返った時に相性がいいなあと感じて、北信越のほうのレギュラー番組をやっていきたいです」
益子「節操ねえだろ(笑)これだけ栃木言っといて。俺は栃木…せめて群馬ぐらい攻めていきたい」
──別のインタビュー記事で「あまり向上心がない」というのを拝見しましたが、そうなんですか。
益子「やる気はあるんですが将来の夢は?とか聞かれたらないんです。先々が浮かばない。目標は、緊張しないでやれるってことですかね」
福田「あれ用のネタ作らなきゃとか、お互い常に頭を抱えている状態なので……」
益子「何も気にしない人間、年齢になりたい。そういう人っているんです。おぼん師匠は仲が悪いのがなくなったので、いつも楽しそうで、ずっと嬉しそうにしゃべっている。最強だと思うので、俺も楽しく生きていきたいです」
福田「向上心を持って、とは思うけど能力が低いからなのか目の前のことでいっぱいになってしまう。才能があったら違うんでしょうけど50ccのエンジンを積んで走っているので」
──最後に読者に向けたメッセージを頂けますか。
福田「向いてないと思いつつもお笑いでメシが食えている自分を見ると、『無理だろう』と諦めずに飛び込んたらうまくいくことがある。僕らってロケが多いんですが一般の方でも『タレントやったほうがいい』って人、意外といる。ちょっとした自分の行動で一歩踏み出すだけで世界が変わる。眠っている才能があるはず」
益子「今は全然流行りじゃないと思いますがある程度、根性は必要だと思います。体力、根性、根性論(笑)そこまではいらないですけど…頭を使えればいいんですが俺は体力勝負で芸能界を生き抜いてきたので、どんな仕事でも体力があったらある程度イケる。しっかり食ってちょっと運動しておけば他の人よりも少し上には!」
福田「根性と体力、どっちなんだよ!」
PROFILE
U字工事
栃木県立大田原高校の同級生として出会い、主に栃木弁による漫才を行う。学生時代からアマチュアとしてローカル番組に出演。00年にコンビ結成。「M-1グランプリ」は03年から5年連続準決勝進出を果たし08年、初の決勝進出を機に全国区へ。以降、数々のバラエティ番組やCMに出演し大活躍。11年に漫才協会入会、17年には第28代真打ちに昇進した。とちぎテレビ『U字工事の旅!発見』レギュラー出演中。YouTube「U字工事チャンネル」は登録者数約8万人を誇る。コンビで「とちぎ未来大使」に任命されている。
公式Twitter
福田薫(ふくだ・かおる)
1978年5月12日生まれ 栃木県那須塩原市出身
公式ブログ
益子卓郎(ましこ・たくろう)
1978年6月16日生まれ 栃木県大田原市出身
公式ブログ
U字工事
栃木県立大田原高校の同級生として出会い、主に栃木弁による漫才を行う。学生時代からアマチュアとしてローカル番組に出演。00年にコンビ結成。「M-1グランプリ」は03年から5年連続準決勝進出を果たし08年、初の決勝進出を機に全国区へ。以降、数々のバラエティ番組やCMに出演し大活躍。11年に漫才協会入会、17年には第28代真打ちに昇進した。とちぎテレビ『U字工事の旅!発見』レギュラー出演中。YouTube「U字工事チャンネル」は登録者数約8万人を誇る。コンビで「とちぎ未来大使」に任命されている。
公式Twitter
福田薫(ふくだ・かおる)
1978年5月12日生まれ 栃木県那須塩原市出身
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益子卓郎(ましこ・たくろう)
1978年6月16日生まれ 栃木県大田原市出身
公式ブログ
Interview&Text/立花みこと Photo/渋谷和花