映画俳優、千葉真一。この肩書きを名乗ることができるのは、映画が庶民の一大娯楽だった昭和を終えてから現在では、稀有な存在である。そして千葉氏は、故ブルース・リーから共演依頼を受けた過去に始まり、今ではクエンティン・タランティーノ監督やスティーブン・セガール氏らとの交友を温め、世界を視野に入れて精力的に活動を続けている。なぜ世界を股にかけて活躍する人生の“成功への切符”を手に入れることができたのか。人生哲学を語る!
日本を代表する映画スターとして、海外ではJJ Sonny Chibaの呼び名でハリウッドの名だたる監督や俳優から親しまれている、千葉真一さんが今回のゲスト。75歳を超えてもなお、内に秘めた熱い情熱の炎を絶やさない秘訣と、人生の成功法則を、読者に教えてくれた。
精神にも肉体にも「これでいいんだ」という満足感を与えるな!
──千葉さんは「ジャパンアクションクラブ NKLスタジオ」を主催して、若手育成に務めていますよね。これまで数多くの若手と接していると思いますが、成功する若者の共通点はありますか。「どんなアクシデントに遭遇しても、どれだけドン底に落ちても諦めない強い情熱を持つ人が、後々、成功していきますね。目指しているものに到達するための情熱は、強ければ強いほどいい。同時に、一度決めたら貫き通す精神的強さも不可欠です」
──精神的強さというのは。
「“もう1人の自分”に打ち勝つ、意思の強さです。もう1人の自分は常に楽な道に進もうとしますが、それは成功を妨げる敵なんです。苦しくてどうしようもない時に、『もう止めてもいいじゃないか』と囁く声と闘う精神力。この精神力と情熱の強さなくして成功はできません。そして、この2つは死ぬまで持ち続けること。自分との闘いは一生続きますから、精神にも肉体にも『これでいいんだ』という満足感を与えちゃいけないんですよ、絶対に」
──それは千葉さん自身も実行してきた、ということですか。
「精神力と情熱の強さは、今でも誰にも負けないつもりで生きてますよ。これは僕だけに限ったことじゃなく、成績を残してるスポーツ選手なんかを見ると分かるけど、のほほんと生きて、旨いものを食べるだけの生き方で、夢が叶うワケがないんです。夢を現実にして、不可能を可能にするためには、苦しむのが当たり前。ただ、苦しむのが当然と悟るまでが大変で『また今日も苦しみにいってくるか』と、苦しみが喜びに変わり、平然と挑めるようになった時が本物の証なんですよ。もちろん、人生たまには無駄も必要ですよ。僕だって、今日は朝まで飲もう! と、息抜きする日はあります。だけど、何となく生きているのは単なる時間の無駄。僕の人生には邪魔な生き方です」
──やはり、ひとつの物事を突き詰めた人はストイックなんですね。
「ストイックというより、他人からは何度も『気違いじみてる』と言われましたよ(笑)でもねぇ、そう言われるぐらいのものを自分の中に抱えていないと、凡人と同じになってしまう。ゴッホだって、自分の耳を切り落とすような奇行に出たでしょう。だけど、他人から見たらまともじゃないからこそ、あれだけの芸術を生み出せた。夢を現実にできたんです。だから僕も、気違いじみたところがあるから人と違ったことができるんだと、自分に言い聞かせてますね」
──そこまでの境地に達しないと、成功は難しいということですか?
「別に僕は自分自身がそういう生き方をしてると伝えただけであって、やってみてとは言わない。やりたくない人は、やらなければいい。考え、思い、生き方は人それぞれですからね。ただ、僕はそうやって生きてきたんです」
自分は日本人だと胸を張るために若い人に歴史を勉強してほしい
──交友関係が広いことでも知られていますが、今の考え方に至るまでは、出会った人たちにも影響を受けている、ということなんですね。「そりゃあそうです。すごい生き方をしてるな、という人との出会いが人生の中で幾度もあったからこそ、悟ることができたんですよ。出会いのドラマはとても大切で、信じられないほどのパワーや夢を与えてくれる人との出会いもありえますからね」
──では“千葉流”人脈術とは。
「とりあえず一度は、一緒にメシを食ったり酒を飲んだりして、語ってみること。話してみなければ、ソコソコのつき合いに留める相手なのか、さらに会う回数を重ねたい相手なのかが判断できませんからね。ただし、その判断は一度でできると思いますよ。素晴らしい才能を持っている相手なら、一発で判断できるはずです」
──数ある出会いの中で、貴重だったと感じるエピソードを教えて頂けますか。
「上智大学の渡部昇一名誉教授と話した時は、映画俳優として衝撃を受けましたね。渡部さんに『日本は悲しいことに映像文化を大切にしていない国だけど、世の中で最も早く浸透するのは映像なんです。ですから千葉さん、戦争に関する映画を撮って下さい』と、おっしゃって頂いたんですよ。その言葉をきっかけに20冊ほど書物を読んで勉強して、現段階では仮タイトルですが『戦争と犯罪 ザ・マッカーサー』という映画の脚本を進めています」
──どんな内容ですか?
「今まで日本人が学んできた戦争の歴史を覆すような、史実に基づいた映画です。歴史はその国の民族の宝ですから、間違った情報を鵜呑みにしてちゃダメなんですよ。戦後失われてしまった日本の誇るべき文化の1つに、武士道があります。大和魂も大和撫子も然り。武士道の根源をご存知ですか? 戦いを止めると書いて、『武』と読むんです。それが武士道を忠実に守っていた、武士であり侍で、その血を受け継いでいる日本人は、実は戦いが好きな民族ではないんですね。沖縄を舞台にしてその史実を伝えるとともに、上地流空手という、一撃必殺技を持つがゆえにスポーツ化しなかった、琉球空手も描く予定です」
──日本人が知らない史実が描かれる、ということですね。
「だから完成したら“反・千葉派”が大勢出てくるでしょうねぇ。それで僕に何かあったとしても、まったく怖くない。名誉の死ですから、それは死の美学と呼ぶんです。ただ、この映画が完成する前に、若い人にはもっと日本の歴史を勉強してほしいですね。自分は日本人だと胸を張って誇りを持つためには、その国の宝である歴史を勉強して知っておくのは、当然のことじゃないですか。それもせずに文句ばかり言っているなら、僕のように日本を出て行けばいいんです。僕はそういう理由で今、アメリカで暮らしてるワケじゃないですよ(笑)世界に日本文化を認めてもらうために、アメリカで日本映画を撮りたい。ただ、それだけを一筋に思い続けているんです」
──御年75歳とは思えないほどパワーがみなぎっていますが、その情熱を維持する秘訣は何ですか?
「今のテレビって、韓国や中国ドラマばかり流していて、一定数のファンを獲得していますよね。その理由は、ある程度お金をかけて作っているから、それなりに面白いからだと思うんですよ。対して日本はどうかというと、先ほども言いましたけど、映像文化を大切にしないから、心が滅びてしまったんです。日本人が心を取り戻すためには、誰かが立ち上がらなければならない。イチ俳優の僕にできることは限られてますけど、この国にいると夢すら諦めてしまうという、心が滅びている現状を何とかしたいんです。この国にいると夢すら諦めてしまうという、心が滅びている現状を何とかしたいんです。国会議員の方でもこの意見を言うと、賛同して下さる方がいるんですけど、だったら具体的に協力してくれよ、とは思いますね(笑)」
取材時間をオーバーしても読者のために語ってくれた千葉さんの熱さこそ、日本人は取り戻すべきなのかも…と考えさせられました。ありがとうございました!!
PROFILE
千葉真一(ちば・しんいち)
1939年1月22日生まれ 福岡県出身
日体大で五輪を目指す器械体操の選手だったがケガで断念。そんな折、東映第6期ニューフェイス募集を知り、応募。合格を果たし、研修後、60年に「新七色仮面」でドラマデビュー。映画、歌手デビューとキャリアを重ね68年から放送のドラマ「キイハンター」に主演。スーパーアクションで人気を集め、千葉ちゃんの愛称で一躍、国民的アイドルとして親しまれた。70年、ジャパンアクションクラブ(JAC)を設立、数多くの人材を輩出した。91年にJACの売却を経て、92年以降、拠点をロサンゼルスへ移し、アメリカでも俳優活動を。海外ではJJ Sonny Chibaの名で親しまれている。芸能生活は50年超。近作に服部半蔵役と剣術指導で参加した映画「キル・ビル」、板垣信方役を演じた07年のNHK大河ドラマ「風林火山」などがある。八海山理事長役で特別出演の映画「歌舞伎町はいすくーる」は5月3日公開。
映画『歌舞伎町はいすくーる』公式HP
公式HP
千葉真一(ちば・しんいち)
1939年1月22日生まれ 福岡県出身
日体大で五輪を目指す器械体操の選手だったがケガで断念。そんな折、東映第6期ニューフェイス募集を知り、応募。合格を果たし、研修後、60年に「新七色仮面」でドラマデビュー。映画、歌手デビューとキャリアを重ね68年から放送のドラマ「キイハンター」に主演。スーパーアクションで人気を集め、千葉ちゃんの愛称で一躍、国民的アイドルとして親しまれた。70年、ジャパンアクションクラブ(JAC)を設立、数多くの人材を輩出した。91年にJACの売却を経て、92年以降、拠点をロサンゼルスへ移し、アメリカでも俳優活動を。海外ではJJ Sonny Chibaの名で親しまれている。芸能生活は50年超。近作に服部半蔵役と剣術指導で参加した映画「キル・ビル」、板垣信方役を演じた07年のNHK大河ドラマ「風林火山」などがある。八海山理事長役で特別出演の映画「歌舞伎町はいすくーる」は5月3日公開。
映画『歌舞伎町はいすくーる』公式HP
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Interview&Text/内埜さくら Photo/おおえき寿一