「俺の試合を一度でも見てくれたら二度、三度とまた呼べる自信がある」80年代後半から最前線で活躍する日本マット界の“重鎮”武藤敬司はこう言い切った。02年に社長に就任し“王道的愛”で全日本プロレスの改革を続け、一方では現役レスラーとしてプロレス黄金期の復活を担う男。「社長業なんて知らねえよ!できるのは、プロレスラー冥利に尽きる試合をすることだけ」。咆哮を聴け!!
新日本との35周年記念大会を機にプロレス界が盛り上がれば
──年末恒例のシリーズ「2006世界最強タッグ決定リーグ戦」が開幕。川田選手とは03年7・6旧ゼロワン両国大会以来となる合体です。現在の心境は。「全日本とは切っても切れない大会で、最古の歴史がある試合、イベント。全日本ファンはこれを見ないと年が越せない。それくらい浸透している。世界最強タッグはプロレスの歴史だよ」
──錚々たる選手が歴史を彩ってます。
「プロレスは昭和29年の力道山・木村政彦対シャープ兄弟から始まって、世界最強タッグはザ・ファンクス、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、プロレスにそんなに興味がない人でも知っている選手が戦ってきた」
──武藤さんも01年24回大会で太陽ケア選手と組んで優勝しています。タッグ戦の最大の魅力は何でしょうか?
「ボクシングや総合格闘技ではありえない、1+1=2じゃない、4にも5にもしようと戦うから。シングルは対戦相手に対するラブ、それがタッグ戦はパートナーに対するラブが必要になってくる! シングルにはできない、立体的な空間を魅せられるしね」
──新日本プロレスの東京ドーム大会(来年1月4日)に全面協力、両団体の35周年記念大会として行うことが話題になっています。
「ともに07年は35周年記念で、それで1月4日は縁があって一緒に合同でね。向こうからオファーがあったから」
──それは新日本プロレスのサイモン社長から直接?
「いや、幹部だよ。押しが強くて。サイモンは忙しいから、海外に行ってたんじゃないか。1・4を一緒にやりたいと言われ、それに賛同してお祭り的な感じで、いいコラボができればいいんじゃないの。これを機にプロレス界が盛り上がればいいしね」
──具体的には。
「正直、まだ考えてない。うちの本流である1・2や1・3のことが大事で。最初、話があった時は断ったくらいだから。日程がぶつかって共倒れすることは避けたいし、1・2は佐々木健介の復帰戦にもなるから。喰うか喰われるか? 対抗戦で潰す、潰れるなんて話じゃない。IWGP、3冠両ヘビー級タイトル戦、両団体選手がタッグを組むなどマッチメイクも入り乱れるんじゃないかな。まだ漠然としてるけど、プロレスは点より線がいいから」
──蝶野選手から対戦、タッグ結成で競演を、とラブコールを受けていると聞きましたが。
「今の時代、新日本だから、全日本だからという括りは意味がない。川田、健介、鈴木みのる…所属はそのどちらでもないでしょ。垣根が崩れてますから。それがいいことか、悪いことか? そんなの分からないよ。野球と違ってコミッショナーがいないし、いい悪いはファンが決めればいいことだろ」
──12月15日のファン感謝デーでは、武藤敬司・神奈月対天山広吉・原口あきまさの「Fー1タッグ選手権試合初代王座決定戦」が目玉企画ですよね。3月の小島聡・イジリー岡田戦は、「全日本プロレスのファン、「モノマネのプロ2人に助けられました」と話してましたが。
賛否両論あるのは知ってるよ、でも俺の中にはない! 引き出しを持つことは大事だし、プロレスラーとして断固たるモノを持っていれば、例え相手がホウキであっても自信がある。プロ根性やプライドを彼らには感じるからね、それとプロレスが好きというのが伝わるから。こだわりは必要ない。俺にはどんなことをしてでもお客さんを楽しませる自信があるからね!」
──蝶野選手に扮する原口さんはどういった経緯で。
「神奈月と酒飲みながら食事している時に『次は誰がいい?』と相談したら『原口ですかね』と。ファン歴20年という筋金入りで、聞いたら学生時代に小倉大会に俺の試合を見に来てて。サインをもらおうと近寄ったら『あっち行け!』と言われたって(笑)。プロレスラーとお笑い芸人たちがやるニセモノとがタッグを組むFー1を成功させてシリーズ化とか、地方巡業もして続けていきたいね」
──他にファンとの交流はどんなこと考えてますか。
「ファンの声を聞いて、その期待に応えるのは大事だと思うよ。でも俺らレスラーは1人1人が演出家、押しつけるぐらいがいいんだよ。期待を裏切る驚き、もっといいモノに見せれば誰も文句は言わないだろ。ファンの考える一歩手前がいいんだよ」
──11月からはメイン司会と編集長を務めるバラエティ番組「武藤敬司のスポーツ大百科」(東海テレビ)がスタートしました。
「これも、神無月が頑張ってくれるんじゃないかな(笑)。プロレス同様凝り固まってないからまだまだこれからだけど、化ける可能性がある番組だよ。地上波では放送していない全日本プロレスの試合映像も流れる。地上波中継復活のきっかけになれば最高だし、秘書役の優木まおみディーバ化もいいね」
強さへの憧れ、ヒーローを追い求めた結果がプロレスラーに
──子どもの頃の話を聞かせてください。柔道を始めたきっかけは。「スポ根アニメ『柔道一直線』に影響を受けて、いい影響をね、道場に通い出したのが最初。『仮面ライダー』の強さに憧れてさぁ、親戚のおばちゃんに『あそこの病院で改造人間にしてもらえるよ』なんて言われたの信じてたからね。『巨人の星』『あしたのジョー』の梶原一騎の世界にも影響を受けた。ヒーロー像が追うことが、プロレスを延長線上に考えたのかな」
──高校を卒業後は柔道の専門学校に進み、接骨院で働くことに。
「柔道で飯を食っていくとか、格闘家になるって、言葉で言ってもどこか現実離れしてるでしょ。柔道の先生が整骨院を経営していた関係で、卒業後は地元に帰りインターン(見習い)として勤務。でも、直すより壊す方が性に合っていることに気づいて(笑)」
──気づいたのは何かあったんですか。
「先生が他の仕事で忙しくなって、任せたというんだけど、こっちは自信がない。年配の人が多かったんだけど、若くても先生だし、当たり前だけど聞かれたことにちゃんと答えないといけない。今までが柔道ばかりの生活で汗をかかないストレスを感じて。東京・経堂の新日本の選手が通っていた治療院の方の紹介で、新日本プロレスの入門テストを受けることに。蝶野や橋本、船木、野上が同期で、辞めたヤツの方が多いくらいキツかった」
──逃亡計画を練ったこともあったんじゃないですか?
「俺が音頭を取って逃げ出す計画を立てたとか立てないとか、伝説になっているらしいね。そんなこと言った記憶がない。まぁ、それに近いことは言ったかもな。死んでも付いていく、という気概じゃなく、最初は様子を見てみようという安易な気持ちだった。手に職はあるし実家の植木屋を継ぐという手もある。山本小鉄さんから言われた「待ってろ! もう少し頑張って見ろ!」は効いたね。小鉄さんがいなかったら、この言葉がなかったらプロレスラー武藤敬司はいない。うれしかった、俺の存在価値をみてくれている人がいたんだって」
──その後、新日本の格闘技路線とは合わなくなり、退団。全日本への移籍を経て社長に就任しますよね。来年1月には新人入団テストが行われると聞きました。
「プロレスが過渡期に来ているのは確か。 昨年は7人が合格し現在、4人がデビューに備えて練習の日々を送っているけど十人十色だからね、自覚を持ってやってくれれば。今年の新人入団テスト志願者は昨年より少ないんだよ。それに日本人ヘビー級選手の不足は深刻。諦めたワケじゃないけど、中国人版力道山を育てたい夢があるよ」
いい、悪いはお客さんが決めること!ただ自信も野心がもある
──大型選手の補強という狙いがあったが、それどころではない、と。「理想はデカいヤツだな。この間、山梨の母校で講演をやったんだけど、500人ぐらいの男子生徒を見渡しても身長が190センチ超えるヤツは1人もいなかったもんな。背が高いのは野球やサッカー、バレーといった他のスポーツに取られちゃう。でも就職先にプロレスはいいよ、長く続けられるから(笑)。1年で1億円稼いでも次の年に0円じゃしょうがない。それなら年収2000万円を5年続けた方がいいと思わない?」
──武藤さんは現役バリバリのレスラーであると同時に、全日本プロレス代表取締役社長として、経営者でもある。これまで様々な問題に直面し、現在進行形で改革断行中だと思いますが、2つの顔をどうお考えですか?
「武藤イズム、全日イズムといってもお客さんがレスラー武藤に需要がなければそれまでだし。でも社長業で悩むことはあっても、現場レスラーとして落ち込むことはないね。プロレスは他のスポーツと比べて異色、オリンピックや世界選手権はないけど、どこの国にもあるスポーツ。俺にはフォーライフだから」
──故障やスランプなどで辛い時期もありましたよね。どうやって乗り切ってきたんですか。
「35歳の時にヒザを悪くして、第二の人生とか、引退後のことを考えたことはあったよ。前の仕事に戻るか、レストランでも経営するか、とかね。でもプロレスに自信がある、野心もある。面白いし、他のと比べて潜在能力が違うよ。大企業だとか国がバックについているスポーツじゃない! 俺らプロレスのバックはファンだけだよ」
──まだまだ、やることが尽きませんか。
「プロレスの普及、テリトリーの拡大、団体が天下を取る。プロレスラー冥利に尽きる試合を見せられるか。ファンのうれしいがビシビシ伝わるような。こんな話があるんだよ。ファンのコからもらった手紙にさ、『妹がファンです。病気で今度、手術をすることになりました。サイン色紙を頂けると喜ぶし励みになると思います』と書いてあって、うれしいじゃない。前は金儲けして大好きな南の島とかで余生を楽しみたいとか考えてたけど、今は違うね。『コラ! 武藤! しょっぱい試合してんじゃねえ』と言われながらも頑張りたいんだよね(笑)」
INFORMATION
【INFO】
「2007 新春 SHINING SERIES」
1/2(火) 東京・後楽園ホール開幕戦
1/3(水) 東京・後楽園ホール
1/5(金) 埼玉・桂スタジオ
1/6(土) 東京・八王子市民会館
1/7(土) 埼玉・川越ぺぺ
■「2007.1.4 レッスルキングダムin東京ドーム」
三冠ヘビー級選手権試合
鈴木みのる(第35代三冠ヘビー級選手権者)VS永田裕志(挑戦者)
公式HP
PROFILE
武藤敬司(むとう・けいじ)
1984年4月、新日本プロレス入門。
同年10月、蝶野正洋戦でデビュー。三冠ヘビー、世界タッグ、IWGPヘビー、IWGPタッグなど数々のタイトルを獲得、01年には前人未踏の6冠王者に君臨。02年、新日本を離脱、同年2月に全日本プロレスへ移籍。10月、全日本プロレス取締役社長に就任。05年には曙と電撃タッグを組み、世界タッグリーグ決定戦にて準優勝。06年5月にはメキシコCMLLにも初参戦。身長188センチ、体重110キロ。得意技はシャイニング・ウィザード、ムーンサルト・プレス。これからもプロレスLOVEの伝道師としてプロレス界に愛と夢を与える。
【INFO】
「2007 新春 SHINING SERIES」
1/2(火) 東京・後楽園ホール開幕戦
1/3(水) 東京・後楽園ホール
1/5(金) 埼玉・桂スタジオ
1/6(土) 東京・八王子市民会館
1/7(土) 埼玉・川越ぺぺ
■「2007.1.4 レッスルキングダムin東京ドーム」
三冠ヘビー級選手権試合
鈴木みのる(第35代三冠ヘビー級選手権者)VS永田裕志(挑戦者)
公式HP
PROFILE
武藤敬司(むとう・けいじ)
1984年4月、新日本プロレス入門。
同年10月、蝶野正洋戦でデビュー。三冠ヘビー、世界タッグ、IWGPヘビー、IWGPタッグなど数々のタイトルを獲得、01年には前人未踏の6冠王者に君臨。02年、新日本を離脱、同年2月に全日本プロレスへ移籍。10月、全日本プロレス取締役社長に就任。05年には曙と電撃タッグを組み、世界タッグリーグ決定戦にて準優勝。06年5月にはメキシコCMLLにも初参戦。身長188センチ、体重110キロ。得意技はシャイニング・ウィザード、ムーンサルト・プレス。これからもプロレスLOVEの伝道師としてプロレス界に愛と夢を与える。
取材・文/立花みこと 撮影/HIROKAZ