埼玉・浦和高校のバスケ部で出会い、卒業後は〝打ち合わせ〟もないまま同じ大学に進み、同じサークルに所属。学生時代には「大学生M-1グランプリ」優勝やテレビ朝日「学生HEROES!」出演で名を売り、14年にデビュー。今年の「ツギクル芸人グランプリ」優勝を機に、水を得た魚のごとくメディア露出が増え、テレビのネタ番組でも活躍。初の単独ライブ「ヘマル」も大盛況と、追い風に乗るストレッチーズの2人が次に狙うのは「M-1グランプリ」の戴冠だ――。
『いい仕上がりなので今年のM-1はドカンと1000万円を狙います!!』
「学生HEROES!」から約10年…春日大統領と再会できました
──高校バスケ部で出会う前は、それぞれどんな少年でしたか。
高木「好きだし楽しかったので勉強ばかりしていたガリ勉で。ただ母親がお笑い番組を好きでNHKの『爆笑オンエアバトル』を録画して一緒に観たり、こういう世界があるんだと知って、小学校高学年になるとネタ番組を見つけては録画して観てました」
福島「不真面目な小学生で授業中に大きな本を盾に先生に隠れてドカントを読んでまして…。一度、バレた時に倫理でカントという人が出てくるので『哲学者カントのことを…』と言ったら『知ってるなら勉強してるな』と切り抜けたことがありました」
高木「まだ小学校の授業じゃ習わないよ」
福島「あと、全国大会に3回出場したドッジボール少年で、練習の合間にも読んでました。アタックの時に『それじゃダメだ!もっとドカンと強く!』って」
高木「ダジャレじゃねえか!求人情報の雑誌だから、小学生版は出してないって!」
福島「…と、よく〝先生〟に怒られてました」
高木「そこは〝監督〟と言う流れじゃない?カントクと」
──卒業後は揃って慶應義塾大学に。将来については?
高木「お笑い芸人になる選択肢はまったくなく、ただ流れに乗って大学に進学して」
福島「僕も芸人になろうと考えてなくてド真面目、ドマジメな性格だったので」
高木「さすがに、ドマジメをドカントみたいに言うのは無理あるよ」
福島「所属したお笑いサークルの存在が大きかったです」
高木「遊びの延長みたいな感じで入ったら楽しいんじゃないか。そこに真空ジェシカの川北さんとかがいて、お笑いの世界に触れ、芸人になる道があるんだと」
──お笑い道場O―keisは学内でも有名ですか?
福島「大学唯一のお笑いサークルで、あとは落研もあります。有名ではないです」
高木「入った時は15人ぐらいしか部員がいなくて、でも居心地が良かったので」
──3年生の時に「大学生M-1グランプリ」で優勝。
高木「本家とは違って僕らが優勝した年でエントリーが82組。こじんまりとした大会ですが優勝という結果は大きく、自信になってプロになれるかもと踏み出すことができました」
福島「大会の模様をユーストリーム配信して録画を観ることもできたので、優勝した瞬間を女の子に見せて自慢してました」
高木「気持ち悪いなあ、よく見せるよ?」
福島「北海道出身で同じゼミの道産子、ドサンコに(笑)」
高木「いいってもう!どうやってドカントに結びつけることしか考えてないだろ!」
福島「ドサンコはウマい?」
高木「今のところ一番いいよ」
──4年生の時には「学生HEROES!」に。先日のテレ朝「証言者バラエティ アンタウォッチマン!」で春日大統領と共演。
高木「プロ意識が欠落していたので、本番前の溜まりみたいな場所で誰が一番エロいアエギ声を出せるかとかやっててスタッフさんにブチ切れられたことが(笑)当時はオードリー春日さんと共演している感覚もなかった。プロになりオーディションを受けてもテレビに出られない苦渋の時を経て再会できたので嬉しかったです」
──収録時に昔話などは。
福島「単発で『オールナイトニッポン0』をやらせてもらった時、その前がオードリーさんだったので楽屋挨拶に行きました。そこで『最近、頑張っているようだね』と言ってもらえて覚えてくださっているんだと。現在の僕らの動向やちょっとした活躍が耳に入っていらっしゃるのかなって。初めてオフの状態で会話ができたので、それは感動して嬉しかったです」
高木「福島はだいぶ〝春日チルドレン〟だったんだな」
『やらない後悔をしたくなかったしお笑いで飯が食える未来があるなら』
「ツギクル芸人グランプリ」優勝をきっかけにバイト生活と決別!
──春日さんは芸能界入りの一翼を担っていたんですね。
福島「ただ、芸人になることは2人の両親とも大反対でした。実家に帰った時、春日さんが出ている番組のチャンネルを変えちゃうことが何回もあったのでお母さんに聞いたら『春日さんにお笑いの道へ進んだほうがいいと言われたんだろう』と勝手に妄想していて、否定しても『可愛い息子が芸人になったのはあの人のせい。そそのかしたんだ』と嫌いになってしまい、この間の放送でご一緒したので謝っておきました」
──不安もあったかと思いますが芸人の世界を選んだ決め手は。
高木「好きだったからとしか、やらない後悔をしたくないのもあったので。プロになっていく先輩を近くで見たり、舞台に立ってウケた時の気持ち良さを知ったことでこの仕事で飯が食える未来があるならやってみたい!と」
福島「僕は結構、迷っていたのもあって、ストレッチーズとしてお笑いをやりながら就職活動もしてある保険会社に5日間、インターンに行きました。グループワークのプログラムで話し合いをして最終日に発表するんですけど、僕が率先して演劇みたいなコントで伝えることになったんです。ボケも入れてやってそんなに面白くないのにすごいウケて、会社はつまらない、こんなのがウケるのかと。みんなのやっているところでもっと笑いが取れるようにやっていきたいと、このインターン経験を機に芸人寄りになりました」
──福島さんには伺いましたが高木さんのご両親は?
高木「8回家族会議があって8回とも母親には泣かれ、9回目で逃げるように芸人に。さっき『ウケる快感が』とかカッコいいこと言いましたがこの雑誌で言うことじゃないですけど就活が面倒くさいのがあって、その感じもあったから母親は反対していたのかも。面倒だったけど、じゃないフリをして逃げ切ってお笑いの道に進みました」
──現在の関係はどうですか。
福島「父親とは殴り合いのケンカをしまして当時、僕は29歳で」
高木「いや遅いなあ(笑)18歳ぐらいのヤツじゃない?」
福島「お母さんとは関係を修復しましたが、父親とは連絡も取らず会ってなくて仲が悪いままです」
──ケンカの原因は。
福島「両親と3人でワインや日本酒、ウイスキーを10本以上飲みまくってみんな泥酔してしまいシラフの時は空気が悪くなるから芸人の話はしないんですが泥酔した父親から『いつ辞めるんだ』と聞かれ『もう少しやらせてほしい』と答えていたんですけど、そのうち口論になり『もう帰れ!』と身体を掴まれて玄関に追いやられて反動で父親を突いたら壁に激突して、お母さんは泣いてしまう地獄絵が」
高木「実家での家族3人飲みはもう、禁止レベルだよ」
福島「殴り合いというか相撲の押し合いみたいな壮絶な事件から2年、関係は変わってないです」
──酒はほどほどでお願いします。「ツギクル芸人GP2022」優勝で変わったことは。
福島「賞金もあるからギアを入れようとバイトを辞めました。医学部専門の予備校で勉強を教えたり時間割を作ったりするチューターという仕事をコロナ禍でライブがない時は週の大半を費やして。辞めることで不安でしたけど、ギャラも生活できるぐらいもらえたので意外と大丈夫でした(笑)」
高木「僕は警備員のバイトを週に3、4日は入ってやってました。ほかにも居酒屋のランチ、コンビニやマンガ喫茶の夜勤とか全部3年ずつやって最終的に工事現場の警備員に落ち着きました」
──バイト生活からの卒業は、大きかったんですね。
福島「両親から『学費以外は自分で用意するように』言われていたのでアルバイトは大学入学の時からしていて、最近まで続いたのでバイト生活13年の重みから、やっと解き放たれて」
高木「確かに。俺らってずっとバイトしてたなあ」
──優勝での反響はどうですか。
福島「イオンモールの営業で先輩のアイデンティティさんやタイムマシーン3号さんについて行ってツギクル芸人を取る前は『僕らを知っている人?』と聞いたらゼロ。でも、それだからできるクダリがあったんです。優勝してから同じく尋ねたら50~60人のうち7人ぐらい手が挙がり、やってみると当然ウケが良くなく…どうするんだよ!って言い争いになり」
高木「60人が知っていれば話が早いんですけど7人しか、がリアルな現状を表していました」
お世話になった上島さんに芋焼酎持参で会いに行って報告します!!
──デビュー当初に描いていた将来像と現状はどうお思いですか。
高木「飛び抜けた紆余曲折はなくちょっとずつ伸びていったら17年はかかりそうだと思っていたところに、ツギクル芸人グランプリで〝ボーナス〟が入ったのでひとつ上のステージにいけた気がします。地道にやっていくしかないんだってヒシヒシと感じていたところにやっと結果が出て」
──恩返ししたい方とのエピソードを聞かせてください。
高木「売れてない若手は若手班でマネージャーがつくんですが、担当の松矢さんが社長も参加する会議で『ストレッチーズを担当したいので、いいですか』と手を挙げてくれて。お偉いさんは誰も僕らを知らないので『つきたいならいいよ』と。そこからの仲なのでマネージャーには恩返しを、これからも頑張っていきたい」
福島「先輩でいったら上島竜兵さんに一番お世話になっていて最初に会った時から『オマエは売れるぞ。分かる。売れそうだ』と励ましてくださって。ラジオが1ヶ月決まったことを伝えたらすごく喜んでくれたり。コロナで自宅療養していた時は上島さんが奥さんと手作り弁当を車で持ってきてくれて『アパートのドア前に置いておくから俺がいなくなったら開けろよ。今はダメだぞ、絶対に今は!』って。開けるほうがいい?(笑)」
高木「じゃないよ(笑)」
福島「面白くて優しくてカッコいい、そんな上島さんに憧れて。恩返しを直接できないのは悔しいですが、テレビ出演が増えると喜んでくれると思うので芋焼酎持参で墓前に行って乾杯します」
──今年も「M-1グランプリ」が始まりました。
高木「続けてこれたのはM-1があったからで、出るためにネタを作り決勝をイメージして頑張ってきたので取らなきゃ終われない。今年は勢い、風が吹いているのでいきたいと思っています」
福島「そのせいで辞めようと考えた時期もあるし、芸人をやり続けようってどちらも思わせてくれる存在。一番はM-1とやってきて優勝するまではずっとそうなのでチャンピオンになってテレビで活躍していきたい。追い風も少しは感じますし漫才は客観的にも主観的にもいいものになってきているのでドカンとイケると思います」
高木「ダジャレじゃないけど、この辺で欲しかったよ」
福島「ドカンと1000万円、取りにいきます!」
PROFILE
ストレッチーズ
浦和高校時代に出会い、慶應義塾大学お笑いサークルO-keis在籍中の12年にコンビで大学生漫才日本一決定戦「大学生M-1グランプリ」で優勝。14年、卒業と同時にプロデビューを果たす。「M-1グランプリ」は17年から21年まで準々決勝進出、「M-1グランプリ2022」にも参戦中だ。22年5月に「ツギクル芸人グランプリ2022」優勝で注目度が増し、7月に開催した初の単独ライブ「ヘマル」も大盛況。太田プロライブ「月笑」10月ラウンドは10月17日(月)19時から関交協ハーモニックホールにて開演。
福島敏貴(ふくしま・としき)
1992年3月19日生まれ 埼玉県さいたま市出身
公式Twitter
高木貫太(たかぎ・かんた)
1991年7月24日生まれ 埼玉県所沢市出身
公式Twitter
ストレッチーズ
浦和高校時代に出会い、慶應義塾大学お笑いサークルO-keis在籍中の12年にコンビで大学生漫才日本一決定戦「大学生M-1グランプリ」で優勝。14年、卒業と同時にプロデビューを果たす。「M-1グランプリ」は17年から21年まで準々決勝進出、「M-1グランプリ2022」にも参戦中だ。22年5月に「ツギクル芸人グランプリ2022」優勝で注目度が増し、7月に開催した初の単独ライブ「ヘマル」も大盛況。太田プロライブ「月笑」10月ラウンドは10月17日(月)19時から関交協ハーモニックホールにて開演。
福島敏貴(ふくしま・としき)
1992年3月19日生まれ 埼玉県さいたま市出身
公式Twitter
高木貫太(たかぎ・かんた)
1991年7月24日生まれ 埼玉県所沢市出身
公式Twitter
Interview&Text/立花みこと Photo/渋谷和花