『爆笑オンエアバトル』では無類の強さを誇り、15年の「M-1グランプリ」と16年の「キングオブコント」ファイナリストで、それぞれ4位の好成績を収めたお笑いコンビ・タイムマシーン3号さん。最近では、影響力がスゴいと話す『有吉の壁』でも人気だ。そんな2人に芸人を志した当時の話から「客ウケばかりを追求してきて芸人ウケがまったくなかった」と悩み葛藤していた時期の話、事務所移籍での変化、今後の展望、若い世代の読者向けメッセージまで根掘り葉掘り聞いてみた。
『先輩の言葉を素直に聞くとすごくラク。褒められたことは信じようと』
『結果が出てこれでいいんだ!と思うことが増えこれからも変わらずに』
専門学校で出会い余り者同士で組んだ2人が人気お笑いコンビに!!
──お二人がお笑い芸人を目指したきっかけを聞かせてください。『結果が出てこれでいいんだ!と思うことが増えこれからも変わらずに』
山本「小さいころからテレビでお笑い番組を観る機会が多かったので漠然と好きで。高校の時に友だちとお笑いの話をしていたら電柱に『お笑い芸人募集!』というポスターが貼ってありまして。そこに爆笑問題さんがゲストで来るお笑い素人コンテスト開催と書いてあって、お笑い好きの同級生から『出てみないか』って誘われたんです。『出るなんて無理無理』と断るも『俺がネタを書くから』と連れ回わされていつの間にかコンテストに出てました。それが高校2年生の時でサッカー部でバリバリやってたけどお笑いが楽しくなり、サッカーは疎かになって…。高校卒業のタイミングで進路を考えた時に、せっかくだったら仕事にしたいなあ、もうちょっとやっていたいなあって。で、お笑いの専門学校(東京アナウンス学院)に入って」
関「お笑いは好きでしたし、お笑い番組をビデオに録りためるような子どもでしたが、高校を卒業する時にやりたいことが浮かばず…。僕は群馬の村育ちでテレビが一番の娯楽だったのでテレビ業界に進みたいなあがあって、お笑いもテレビ業界のことも学べる学校に。そうしたらクラスがお笑い専攻で、みんなそれぞれがコンビを組んでて学校のライブに出ないと単位がもらえない。僕と山本だけが余って先生に組まされたのがスタートです。流れされるように21年、流れ着いたのが今ってだけで」
──当時のお互いの印象は。
山本「仲が良かったら早々に組んでますよね。お笑いという共通点しかなく、性格も違うし」
関「出身地も違うし。みんな先に組んじゃったんですよ。面白いヤツとかカッコいいヤツとかは。余り者同士で人気もなくて」
──その頃に好きだった、憧れた、目指した芸人さんは?
山本「昔と専門学校に入ってからは違って。それまではテレビに常に出ている人に憧れてよく観てて学校に入ってからはもっと身近な、テレビにはあまり出てないけどライブで活躍しているような先輩たちが好きになってきて。エレキコミックさんやドランクドラゴンさん。『爆笑オンエアバトル』の出始めだった頃ぐらいの芸人さんがめちゃめちゃウケてて。いまだあの頃の笑いが一番なんじゃないかと思うぐらい印象が強い」
関「我々は始めて1年目とかですから。ゴングショーコーナーとかで1分の時にトリで出てるエレキさんとかアドリブでバンバン笑いを取っていて」
山本「すごかったですね!」
関「自分たちが続けていく先は、こんな風になれるのか?敵わないなと思いましたね」
──同期の芸人さんには名だたる方がいらっしゃいます。
山本「00年デビュー組は豊作ですよ。オードリーとかナイツとかNON STYLE…」
関「だからあまり言わないようにしているんです、比べられちゃうから。ななめ45とか磁石とかハマカーン……名だたらない人たちの名前を。上ばっかり出されちゃうと(笑)」
運とタイミングに恵まれた21年間好きなことで食べられるのは幸せ ──芸能生活21年を振り返って思うことは。
山本「やっていられることが奇跡的というか、続けられて、ご飯を食べられている」
関「言うじゃないですか、好きなことをして食べられる人はひと握りだって。今でも周りを見るととんでもなく面白い人がいて、一応肩書きだと同じ仕事なのでラッキーだなって」
山本「運とタイミングには恵まれていると思います。いい時にМ―1の決勝に行けたとか同時期にキングオブコントの決勝も行けたり。まとまってギュッとなって」
関「悪いほうでいえば仕事がなくなって辞めようと思った時に車にはねられて保険が入ったり。もうちょっと頑張ろうと。実話です。辞めて普通の会社員にでもなろうかと思った時に家が火事になって火災保険が入ったり。これも実話です。そっちの悪運があって今もなんとか続けていけてる」
山本「やってる可能性があるのでちゃんと調べたほうが」
関「入ってたわ、保険会社(笑)関係ないわ。被害者だから」
──「客ウケばかりを追求してきて芸人ウケがまったくなかった」とよくお話されてます。山本さんが悩んだり辛かったことは。
山本「けど客ウケって悪いことじゃないですよねというジレンマ。この葛藤はすごい。間違った道へ行ってないのに間違ったことをしている気がして答えが出なかったんですよ。心のバランスを取るには、お客さんの前で笑いを取るしかないので、それがまた首を絞める矛盾をずっと抱えてて」
関「ウケることがコンプレックスになる。お笑い芸人なのに」
山本「この悩みは芸人仲間とか近い人にしか伝わらない。両親や友人には悩んでいるように見えないじゃないですか。ウケてるしテレビに出てるし」
──事務所移籍での変化は。
関「ある程度、芸歴を重ねてきて伸び悩んでた中で、チャンスをもらったり。だいぶ変わりました」
山本「前はネタ番組ばかり出ていて2人でしか作り出してなかった。〝お笑いはみんなで作るものだ〟でいうと太田プロはみんなでできる人材が揃っていて」
──ダチョウ倶楽部さん、有吉弘行さん、土田晃之さん、劇団ひとりさんなどの先輩方が。
山本「土田さんから『聞き取りやすい。声はいいよね』と言われます。『お前らウケてて漫才は上手だけど売れないよね』とも」
関「有吉さんにご飯を誘って頂いたり(上島)竜兵さんが呼んでくれたり。たいしたことは言ってくれませんけど(笑)先輩ができたのでブレなくなりました。素直に言葉を信じるとすごい楽。先輩に褒められたところは信じようと」
──『有吉の壁』出演については?
山本「ゴールデンのレギュラーを1年以上やらせてもらっていて、瞬間最大風速だとМ―1かもしれませんが影響力は一番かも。僕らはネタとしてしか見られてなかったのが、人が出てきたのはこの番組で。山本、関の取り扱い説明書じゃないですけど」
関「この間、小学校にロケに行きましたがすごかった。みんな観てますって。顔バレしてるので近所を歩いてたら、子どもが20人ついてきたことがあります(笑)」
人生において経験に勝るものはないので若い時のバイトは勧めます ──山本さんは『オールスター感謝祭』ミニマラソン、関さんは『それって!?実際どうなの課』のチャレンジ企画などピンでの活躍も。
関「その前にこいつばかり言われますが僕も同じだけは走っているということは知ってほしい。同じ数だけ現場に行ってますから」
山本「テレビに出れればなんでもいいと思っているので、得意なことで出れるなら。少しでも知ってもらって2人のところに還元できればと思っているので、これからも走り続けたいですね」
関「カッコ悪っ(笑)芸人としてみたいな…給料を折半にしているので、どちらが仕事に行っても2人の稼ぎですから。賞金取ってほしいし、やっかみはないです」
──YouTube公式チャンネルの登録者数が30万人超、1週間に2、3本と更新頻度も高い。大変じゃないですか?
山本「ネタは大変でしたね。週に2、3回はネタ合わせしてライブも週3、4回とか出ててやっと1か月で1本のネタができてた。その貯金が21年間で50本あったのを切り崩していたらなくなっちゃって、ハンバーガー食べたり」
関「苦労して作ったネタよりハンバーガー食ったほうが再生回数が多い。この矛盾に心を折られ…意味がないと思っていたことが」
山本「ネタを出すことが正義だと思っていたのに、ご飯を食べているのがいいね!を頂いて。『関ちゃんが食べてるところが楽しそう』とか。なので若い人の意見も取り入れてやってます」
関「一般の方には受け入れやすい芸風なのでYouTubeに合った、時代が良かったのかも」
──『藤田ニコルのあしたはにちようび』に出演されてますが〝にこるん効果〟を感じますか。
山本「にこるんのファンの方から『仲良くしているからお兄ちゃんたちいいな。オジサン好きだな』と、いいね!してくれたり」
関「逆に我々の劣悪なファンがニコルのところにいっちゃう。歪んだオジサンたちが」
山本「ニコルは度量が広いので。オジサンも受け入れてくれて」
──お笑い芸人、お笑いコンビとしての今後の目標・抱負は。
山本「今まで無理をせずにやってきたので、これからもできることを。いろいろ〝結果〟が出て、これでいいんだと思う場面に遭遇するので、まだまだ多くの方に支持されたいですね」
関「僕らってなんでも品揃えがある店で、だからアイドルのイベントの司会を頼まれたり、声優や役者をやったり、でもバラエティはちゃんとあって。仕事がある限りは続けたいですね」
──最後に若い世代の読者向けにメッセージを頂けますか。
山本「バイトは夜勤1万円ドンみたいな仕事を2人でやってたんですよ。歌舞伎町のコンビニでちょこちょこシフト入れるんじゃなくて。結果論なんですけど…憂うつな仕事のほうが達成感はあるなって。気楽な仕事の帰りはあまり楽しくないなって。全部が全部じゃないですけど、朝から頭を抱える仕事のほうが『あー!今日のビールは美味いなあ』と思える」
関「お笑い芸人になって給料を頂いて嬉しいんですけど、やっぱり夜勤の1万円は尊かったですね。それに、こんな苦労話あります、あんな先輩いましたとか今でもエピソードで話すのはその時のことだったりするので、若い時のバイトはやっておいたほうがいいです。偉そうに言ってますけど借金抱えて何もやってない時期もありましたが、それでも、ですよね。好きがツラいバイトの中で見つかることもあると思うので」
山本「経験が一番ですよね人生においては」
PROFILE
タイムマシーン3号
東京アナウンス学院に通っていた2人が00年にコンビ結成。ジェイピールームから13年に太田プロダクションへ移籍した。「M-1グランプリ2015」「キングオブコント2016」ファイナリスト。漫才、コント、MCなどをオールラウンドにこなす実力派。「タイムマシーン3号公式YouTubeチャンネル」登録者数は約30万人を誇る。日本テレビ系『有吉の壁』、TBSラジオ『藤田ニコルのあしたはにちようび』、FM-FUJI『タイムちゃん』レギュラー出演中。
山本浩司(やまもと・こうじ)
1979年6月22日生まれ 新潟県出身
公式Twitter
関太(せき・ふとし)
1979年8月5日生まれ 群馬県出身
公式Twitter
タイムマシーン3号
東京アナウンス学院に通っていた2人が00年にコンビ結成。ジェイピールームから13年に太田プロダクションへ移籍した。「M-1グランプリ2015」「キングオブコント2016」ファイナリスト。漫才、コント、MCなどをオールラウンドにこなす実力派。「タイムマシーン3号公式YouTubeチャンネル」登録者数は約30万人を誇る。日本テレビ系『有吉の壁』、TBSラジオ『藤田ニコルのあしたはにちようび』、FM-FUJI『タイムちゃん』レギュラー出演中。
山本浩司(やまもと・こうじ)
1979年6月22日生まれ 新潟県出身
公式Twitter
関太(せき・ふとし)
1979年8月5日生まれ 群馬県出身
公式Twitter
Interview&Text/立花みこと Photo/渋谷和花