RG「自分らがやってることに間違いはないんだ」
HG「根拠のない自信を持つことって大事だよね」
浮き沈みの激しい芸能界。十年一昔という言葉すら当てはまらず、「5年前に流行したギャグは?」という問いに即答できる人はわずかではないだろうか。大学時代に所属したプロレス同好会で出会い、4ヶ月のサラリーマン生活を経てコンビを結成した、レイザーラモンHG&RGさんも、芸能界の浮き沈みの激しさを実感した中の1組。HGさんが「フォー!」でブレイクした05年、まだお茶の間の認知度が低かったRGさんの胸中とは…。コンビ仲を持続する鍵を紐解いて浮かび上がってきたものは?
「ミラノコレクション目指してます!」と最近はモデル業にも精を出すHGさんと、“あるあるネタ”で注目度急上昇中のRGさんからなる、レイザーラモン。どちらか片方だけが大ブレイクすると解散する確率が高いと言われている芸人の世界では、異色とも呼べる絆の強さだ。ピンでの活動はお互い認めながらも「コンビありき」と歯切れよく語る理由はどこにあるのか。彼らが歩んできた道のりを辿ってもらおう。
05年に「フォー!」の叫び声で大ブレイクしたHGさんと、07年頃から「あるあるネタ」でじわじわと人気に火がついたRGさんによるお笑いコンビ・レイザーラモン。時流に乗るタイミングに見事なズレがあった両者が、当時の葛藤を振り返りつつ“お笑い観”を語る。
──今お2人は順調に活動されていますが、最も大変だった時期といえるのはいつでしたか?
HG「いやぁ、今もまだまだですけど、一番大変だったのは99年頃ですかね。デビュー直後は順調でしたけど、(心斎橋筋)2丁目劇場が潰れてからは、新しい劇場に女子中高生のお客さんが増えて、僕らのような裸でプロレスをする芸人じゃなく、面白くてカッコイイ芸人に人気が集中したんで」
RG「一気に仕事がなくなって、月1回2分のネタ披露が唯一の仕事になりましたからね。だから生活費はバイトで捻出してました」
──当時はどんなバイトを?
HG「建築作業員をしてました。縁石を運んだりセメントを混ぜたり…有酸素運動みたいなもんでしたから、どんどん痩せ細っていく一方でしたねえ。プロレスで鍛えた身体も役に立たず…」
RG「僕はビデオボックスの店員をしてました。6~7年いて最後は店長になって、僕がバイトの面接と商品の仕入れを担当してたんですよ。最終的には社員にスカウトされたんですけど、僕はお笑い芸人ですし、社員になると系列の風俗店に飛ばされるんで(笑)お断りしました」
──RGさんが面接を! 面接官から見て雇いたくなる人材とは?
RG「しゃべっていて楽しくて明るい人。見た目はあんまり重視してなくて、ゴリゴリの刺青を入れたバンドマンや体重100キロぐらいのヒップホップ系の人も採用してました」
HG「その採用システムだと、ほとんどの人が受かるような(笑)」
──順調だった生活から一転して辛くはなかったのでしょうか。
RG「バッファロー吾郎さんと、ケンドーコバヤシさんが面白いと言ってくれたから、僕ら続けてこられたんです。ステージの袖からあの先輩方の笑い声が聞こえてくると、『自分らがやってることに間違いはないんだ』と確信が持てましたし、モチベーションにもなったんです」
HG「あとは00年に『ABCお笑い新人グランプリ』で審査員特別賞を獲った時、人づてに大竹まことさんがえらい褒めてくれてたって聞いたことも、ずっと心に残ってたんです。この前、ラジオで大竹さんとご一緒したら『そんなこと言ったっけ?』と忘れられてましたけど(笑)RGさんと話したんですよ。『根拠のない自信を持つことって大事だよね』って」
──そして06年にHGさんがブレイクします。当時は洗濯する暇もなく同じパンツを履き続けて、尿道炎になったそうですね。
HG「そんな、テレビでも使わんネタを(笑)。尿道炎って膿がすごく出るんですけど、先輩に相談したら『ナプキン入れろ』って言われて初めて僕、コンビニでナプキン買って、ロケの合間に公衆便所で張り替えるという、屈辱的災難にあったんですよ。それほど異常に忙しい反面、相方と話す時間が減り、疎遠になった時期でもあります。HG人気で2人の間にひずみが生まれたというか」
ベビーとヒール的なプロレスの潮流を組んでRGに変身
──ひずみ、ですか。HG「RGさんがHGをパクるという、お笑い史上に残るボケをかましたじゃないですか。今思えば面白いことなんですけど、当時は受け止めきれませんでしたね。僕は突っ込んでほしい気持ちがあったんですけど、RGさんは天性のボケ男なんで、ツッコミは無理」
RG「結果、ボケとボケになってHGさんに突っ込ませることになるという。でも、受け止めてくれた方だと思いますけどね、僕は。ムーディ勝山と梶剛は解散しちゃったじゃないですか」
HG「同じ状況の梶君に相談されてRGさんは、『パクって“メロディー梶”やればええやん』とアドバイスしたらしいですけどね」
──えっ? 後輩にもパクリ推奨ですか(笑)
RG「僕らには、プロレス的な考え方が根底にあるんです。僕がRGになったのは、タイガーマスクとブラックタイガー、ミル・マスカラスとドス・カラスのように、ベビー(フェイス)とヒール的な、プロレスの潮流を組んでのことだったんですよ。それを次第に理解してくれて、やらせてくれたっていうのが良かったんですよね。相方はホント、いい男なんですよ。ブラックマヨネーズの吉田(敬)さんとよく話すんですけど『吉本男前ランキング』で1位になってもおかしくないほどイケメンですし、華がある。僕が提案したことは否定せずとりあえずやってくれるし、特にコイツすげえ! と思うのは投げたことに対して120%の力で返された時。僕というロケットの発射台をさらに上回る瞬間が多々あるんですよ。もう本当に僕は相方が大好きですから、相方がブレイクした時も妬む気持ちはまったくなくて、テレビを観るたび『やるなぁ~!』と大笑いしてました。やっぱりね、コンビってどこかリスペクトし合う部分がないと限界が来ると思いますよ」
HG「そんな矢継ぎ早に! 褒められすぎて恥ずかしい(笑)。さらに、僕をイケメンだと褒める回数が多いのが相方だという事実がもっと恥ずかしい(笑)」
──深い愛ですね~。HGさんが感じるRGさんの魅力とは?
HG「周りに何を言われても『自分は間違っていない』という自信を持つ姿勢ですね。〝あるあるネタ〟だって最初は先輩方から『何や!あれ!?』って非難されてたんですよ。でも、惑わされずに最後に“そこそこ薄いあるある”を言って成立させた。僕も一時期、RGさんの市川AB蔵ネタをパクって、市川CD蔵で〝ないないネタ〟をやりましたけど、歌っている最中に観客の期待でハードルが上がるから、心臓が押し潰されそうで持ちませんでした。つまりは『自分はスターだ』と信じてるということで、そこがまたすごい(笑)」
RG「スターですからねぇ(笑)」
──お2人が今の域に至るまで、奥様の助けもあったとか。
HG「僕は一番収入が高い時に結婚しましたけど、彼は月収が何千円って時に結婚してますからね。僕もプロレスで大怪我した時に世話になりましたけど」
RG「つき合ってる時から『奢ろうか』と言うと『いい、私が出す』ってスタンスでしたし、多額じゃないけど僕の借金も払ってくれたんですよ。貯金があるからって」
僕ら二人はプロレスなしには語れない!ご理解ください(笑)
──お2人の奥様のように、男性を支える女性の共通点は?HG「自立していてたくましいんだと思います。僕が稼げない時期も悲しい顔ひとつ見せずに『任せといて』と宣言して、足を使ってコネを作って結局、自力で稼ぐようになりましたから」
RG「男にご飯代出させて当然、みたいな子は支えてくれないかもしれませんね。僕ら本当にいい嫁さんもらいました」
──ご家族のためにも仕事を頑張らないと、ですね。
RG「去年から漫才を始めて、やっと普通のコンビとして活動してるってうれしさがあるんで、今後もお互い自由な活動をしつつ、漫才も極めていきたいです」
HG「THE MANZAIを目指して、コンビとしての活動が増えてますし、漫才コンビとしても注目して欲しいですね」
──ファンはRGさんの〝あるあるネタ〟も楽しんでいます。最後に読者へ〝無職あるある〟をお願いします!
RG「『ミヤネ屋』やってる時間に起きがち! でどうでしょう」
──自由業の「いいとも」超え! さすがです(笑)
今後何があっても解散はしないと断言したお2人。男同士の熱い絆? HGさんに対するRGさんの愛? が露呈した取材でした!
INFORMATION
書籍『レイザーラモンRGの洋楽あるある』
INFO
お笑い界屈指のあるあるの使い手レイザーラモンRGが、twitter上で「~のあるあるはありますか?」と聞かれればすぐさまにツイート。そんな膨大な洋楽あるあるのつぶやきを厳選、単行本化したのが同書。単行本特典で藤井隆、椿鬼奴との同世代洋楽対談を収録。各あるあるを1コマで表現したイラストは、相方のレイザーラモンHGが担当。80年代黄金期の洋楽ファンに向けた珠玉の1冊だ!
竹書房から好評発売中。1000円(税込)
PROFILE
レイザーラモン
HG(えいちじー 本名/住谷正樹)
1975年12月18日生まれ 兵庫県出身
RG(あーるじー 本名/出渕誠)
1974年6月8日生まれ 愛媛県出身
HGは同志社大学、RGは立命館大学でプロレス同好会に所属。定期戦などで交流があり、意気投合し、97年10月、お笑いコンビ「レイザーラモン」を結成。卒業記念でエントリーした「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で福笑い大賞を受賞。大学卒業後はそれぞれ就職したが、お笑いの道を諦め切れず、脱サラでこの世界に。00年「ABCお笑い新人グランプリ」審査員特別賞を受賞。その後、HGが「フォー!」で大ブレイク。その人気が落ち着いた頃にRGが「あるあるネタ」でブレイク。昨年は「THE MANZAI2012」に出場し、認定漫才師に選ばれた。吉本新喜劇のメンバーとしても活躍中。小籔千豊とのユニット・ビッグポルノの新曲「BLOOD JAPAN TEAR/AH! AUTO-CAMP」を9月11日リリース。
書籍『レイザーラモンRGの洋楽あるある』
INFO
お笑い界屈指のあるあるの使い手レイザーラモンRGが、twitter上で「~のあるあるはありますか?」と聞かれればすぐさまにツイート。そんな膨大な洋楽あるあるのつぶやきを厳選、単行本化したのが同書。単行本特典で藤井隆、椿鬼奴との同世代洋楽対談を収録。各あるあるを1コマで表現したイラストは、相方のレイザーラモンHGが担当。80年代黄金期の洋楽ファンに向けた珠玉の1冊だ!
竹書房から好評発売中。1000円(税込)
PROFILE
レイザーラモン
HG(えいちじー 本名/住谷正樹)
1975年12月18日生まれ 兵庫県出身
RG(あーるじー 本名/出渕誠)
1974年6月8日生まれ 愛媛県出身
HGは同志社大学、RGは立命館大学でプロレス同好会に所属。定期戦などで交流があり、意気投合し、97年10月、お笑いコンビ「レイザーラモン」を結成。卒業記念でエントリーした「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で福笑い大賞を受賞。大学卒業後はそれぞれ就職したが、お笑いの道を諦め切れず、脱サラでこの世界に。00年「ABCお笑い新人グランプリ」審査員特別賞を受賞。その後、HGが「フォー!」で大ブレイク。その人気が落ち着いた頃にRGが「あるあるネタ」でブレイク。昨年は「THE MANZAI2012」に出場し、認定漫才師に選ばれた。吉本新喜劇のメンバーとしても活躍中。小籔千豊とのユニット・ビッグポルノの新曲「BLOOD JAPAN TEAR/AH! AUTO-CAMP」を9月11日リリース。
Interview&Text/内埜さくら Photo/おおえき寿一