今月の〝パイセン〟ゲストは、タレントの嶋大輔さん。嶋さんといえば『男の勲章』、『男の勲章』といえば嶋さんとイメージされるほど現在では、幅広い年代から愛される楽曲へと成長し、ご本人も何度も助けられているという。華々しい芸能活動から一転、政界への進出を試みた時に味わった絶望感や、人生のどん底を這いつくばったからこそ得られた大切な人への接し方、仕事に対する思いを深堀りインタビュー!!
大切な人には嘘をつかない、素直になる、意地を張らない。ツラい時こそ自分で抱え込まず仲間とすごしたほうがいい。独りだと感情が内にこもり悲観的になってしまうので。
「男の勲章」は売れる!と思ったでも天狗になることはなかった
──82年にリリースされた嶋さんの2ndシングル『男の勲章』が昨年、また大ブレイクしましたね。「ドラマ『今日から俺は』の主題歌として今日俺バンドさんにカバーして頂きましたけど、この楽曲に助けられたのは一度じゃないんです。『めちゃ×2イケてるッ!』や『木更津キャッツアイ』でも取り上げて頂いているので。リリースしてから今年で38年目を迎えますが、僕は楽曲に恵まれただけだと捉えています。すごいのは、作詞作曲と編曲を手掛けてくださった(横浜銀蝿40thの)Johnnyさん。今でも感謝しています。まさか銀蝿さんがカバーしてくださるとは思っていなかったのですが(笑)うれしかったですね。18年のカラオケランキングで一時期、1位がQUEEN、2位があいみょん、3位が僕の並びになったと知った時は『さすがにこれはマズイだろう!』と焦りましたが…」
──(笑)発売前にデモテープを聴いた時のことは覚えていますか?
「鮮明に覚えています。最初のフレーズの♪つっぱることが男のたった一つの勲章だって♪が飛び抜けてキャッチーだったので、売れる! 絶対にイケる! と思いました。リリース前に周りの方に聴いてもらった時も、評判がよかったんです。まだ17歳のガキが『売れる!』と確信するなんて今考えるとおこがましいですが、時代に合っていたのかな、と。暴走族風の衣装を身に着けた『なめ猫』やリーゼントが流行でしたし」
──大人気タレントになってから、心境に変化はありましたか。
「やっぱり(売れた)…と思っただけで、気持ちは売れる前と何も変わらなかったです。(兄貴分の横浜)銀蝿さんが縦社会を重んじる厳しい方々で、『男の勲章』を歌っている時期もカバン持ちやローディーは続けていましたから。『ザ・ベストテン』に出演していた時も、現場へは電車で通っていましたし。今でも天狗になるような育てられ方をされなくてよかったと思っています。自惚れるような気持ちは微塵もわかず、歌番組で隣に当時のトップアイドル松田聖子さんがいると『いいニオイがするな~』と密かに喜ぶ、イチ少年でいられたので(笑)」
──芸能界で活躍後、13年に政界進出宣言も挫折…。自宅を売却されたそうですね。
「人生で一番しんどい時期でした。対人恐怖症のようになってしまい、誰とも会いたくない状況に陥ってしまったんです。1年以上は働けず、知人からお金を借りていたので返済のため一戸建てを売却して、賃貸マンションへ引っ越したんです。妻は、僕が働き出すまでは何も言わず見守ってくれました。家を売ることになった時は『それがあなたの選んだ人生なんだから。前を向くしかないじゃない』と言ってくれて。有り難かったですね。自分独りでは、とてもじゃないけど乗り越えられませんでした」
──芸能界復帰前には、サラリーマンを経験したとか。
「半年間ほど、ソーラーパネルの営業マンをしていました。妻と2人の娘がいますから、芸能界を辞めても生活費を稼がなければいけなかったからです。僕だとバレると『何でこんな仕事を?』と、必ず聞かれるのがつらかった。でも、当時は幼かった子どもたちの寝顔を見ると『この子たちを食べさせるのが自分の責任だ』という思いが強くなり、奮い立つことができたんです。営業マンを経験したからこそサラリーマンが日本を支えていると実感しましたし、尊敬しています」
自分の評価を判断するのは第三者変なプライドは不要だと思います
──その生活から芸能界復帰を手助けしてくれたのが、俳優の中野英雄さんだったんですよね。「よく知ってますね(笑)僕はゲームは『龍が如く』しかやらないんですけど、中野が出ていたんです。しかもラスボスで。嫉妬心がわくと同時にうらやましい気持ちになって、自分から連絡しました。全く連絡を取っていなかったのに中野は『お前、水くさいな。お茶でも飲もうぜ』と誘ってくれたからこそ現在があります」
──そういった状況下では男性は、プライドが邪魔をして連絡できないケースがありそうですが。
「僕の場合は今まで積んできたキャリアを全て失い、すがるものがない状態で、プライドが砕け散っていたんです。僕は芸能界より一般の友だちのほうが多いんですけど、同級生で昔から一緒に遊んでいる上に同業を経験している中野に話を聞いてもらいたかった、という思いもありました。『自分はすごい』とプライド高く自画自賛する人がいますが、すごいかどうかを判断するのは第三者。変なプライドは不要だと思います。あの時期を乗り越えたからこそ、精神的に強くなりましたし。人生にムダなことはひとつもないと思って生きています」
──盟友の中野さんが初プロデュースをされた映画『影に抱かれて眠れ』では、スタッフとして参加されたそうですね。
「演者だろうと予想しつつ『何やるの?』と聞いたら『車両!(ドライバー)』と断言されたんです。信じられないほどガンガンこき使われました(笑)EXILEのまっちゃん(松本利夫さん)が僕に挨拶した直後、急いで台本をチェックしていて。おそらく、僕の役を探したんでしょうね。『今回は車両だから』と伝えたら、口をあんぐりさせていました。でも、中野に頼まれたら断れませんよ。僕を芸能界に戻してくれましたし、復帰した最初の芝居でも、励ましの言葉をくれましたから」
──具体的にはどんな言葉を?
「僕の男友だちは、多くを語らないんです。中野も『お前ならできるよ』ぐらい。自分のことを本気で思ってくれている人は、言葉数が少ないんです。利用しよう、自分をよく見せようと考えている人に限って話が長かったりします」
──勉強になります。ご自身が人間関係で心掛けていることは。
「大切な人にはウソをつかない、素直になる、意地を張らないことを原則にしています。この3つを意識しているからこそ、中野がうらやましかった時期に素直に思いを言葉にできたんです。もちろん、TPOで意地を張らなければいけない時もありますし、大人としてのモラルを持ちつつ、伝えたいことを言葉にしていますが。あとはストレートな言葉で気持ちを表現することです。自分の本音をごまかすために1本の幹にいろいろな枝葉をつけて説明すると、論点がズレて相手に伝わらないので」
──横浜銀蝿40thの皆さんにも、意地を張れないですよね?
「意地など張らないですし、張れるわけがありません(笑)3年3ヶ月という短期間でシングル1位、アルバム1位、武道館を満員にした功績を持つ、すごい方々ですし。40周年というタイミングでまさかJohnnyさんが加わるとは思っていなかったのですが、オリジナルメンバーがそろい心からうれしく思っています。僕は『男の勲章~今日俺編~』のPVで、ナレーションを担当させて頂きました。ぜひ聴いて頂きたいですし、ライブも楽しみにしています」
──最後に以前の嶋さんのように、しんどい時期をすごしている人にもメッセージを頂きたいです。
「偉そうなことは言えないですがつらい時こそ独りで抱え込まずに仲間とすごしたほうがいいと思います。独りでいると感情が内にこもり続けて『どうせ俺は』とか『俺なんて』と、悲観的な感情にとらわれてしまうので。今は若者の友人関係が希薄になっていると聞きますが、SNSで再会する手もあります。独りで這い上がるのは相当な気力と体力が必要なので、同じ時間を共有してきた、本音をさらけ出せる仲間と会うことをオススメしたいですね」
PROFILE
嶋大輔(しま・だいすけ)
1964年5月22日生まれ 神奈川県横浜市出身
81年、TBS系ドラマ『茜さんのお弁当』でデビュー。82年に横浜銀蝿の〝銀蝿一家〟として『Sexy気分の夜だから』で歌手デビュー。以降は俳優、タレントとして活動。2ndシングル『男の勲章/ぶっちぎりRock’n Roll』は世代を超えて人気の名曲で、日本テレビ系『今日から俺は』では主題歌として〝今日俺バンド〟がカヴァーし、更に若い世代にも浸透。19年には同曲がタワーレコードから7inchアナログで再発売され話題になった。13年、政界進出での引退を表明。その後15年に芸能界復帰を果たし、22年には芸能生活40周年を迎える。
公式Twitter
嶋大輔(しま・だいすけ)
1964年5月22日生まれ 神奈川県横浜市出身
81年、TBS系ドラマ『茜さんのお弁当』でデビュー。82年に横浜銀蝿の〝銀蝿一家〟として『Sexy気分の夜だから』で歌手デビュー。以降は俳優、タレントとして活動。2ndシングル『男の勲章/ぶっちぎりRock’n Roll』は世代を超えて人気の名曲で、日本テレビ系『今日から俺は』では主題歌として〝今日俺バンド〟がカヴァーし、更に若い世代にも浸透。19年には同曲がタワーレコードから7inchアナログで再発売され話題になった。13年、政界進出での引退を表明。その後15年に芸能界復帰を果たし、22年には芸能生活40周年を迎える。
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Interview&Text/内埜さくら Photo/おおえき寿一