事務所移籍で再出発も仕事がなくゲーム三昧の日々、ネット配信界の有名人との出会い、ゲーム実況チャンネル開設の誘い…。声優を志して福島から上京した青年は、いつしか〝宇宙海賊〟となり大人気に。紆余曲折の芸能生活でも『デート・ア・ライブ』中津川宗近役でアニメ声優デビューも飾った。話を聞くと様々な〝人生模様〟が浮かび上がってくる。変わらない姿勢、人との縁や繋がりの大切さ、運の活かし方など学ぶことは多そうだ。
『夢が叶うというのは直線ではなくいろいろな道があると言いたい!』
がっつりブレイクせずも芸能界に生き残れる〝裏道〟を進んできた──11年ぶりのご登場になります。活動も変わられて。
「ざっくり言うと、がっつりブレイクしてないけど生き残れる〝裏道〟を通ってきた感じですね」
──YouTube『ゴー☆ジャス動画』のチャンネル登録者数がスゴいですね。
「YouTube開設前の10年ぐらいにお笑いブームが終わって仕事が…。で11年3月に東日本大震災があって、そのちょっと前に当時いた事務所から『もう面倒を見ることができないから移籍してくれ』と言われてサンミュージックに移る時に、ちょうど震災があったので何もなくなってしまい…。蓄えはあったので、生きる分には大丈夫だったけどゲームをやるしかなかった。それまでスゴくやってた人じゃないんですがうっ憤が溜まってたのがパッと出て。『モンスターハンター』というゲームと『パズドラ(パズル&ドラゴンズ)』が二強ですね。そこでいろいろ引っかかりがあり、YouTubeを始める前にマックスむらいさんというネット界で強い人に出会って、その人の番組に出たら結構ウケてネット界で名前が出回るようになって。知り合いからゲーム実況チャンネルをやらないかと誘われ14年に始めて現在に至る感じですね」
──アニメ好きは有名ですが、ゲームはあまり?
「家庭環境が厳しかったので隠れてするしかなくディスクシステムを持ってたんですが勉強するようにと親に『誰かにあげちゃった』と言われてしまい。仕方ないので自分でゲームボーイを買って、親がきたら机の中にしまって勉強してそんな感じでちょこちょこと。名作をあまりやってなかったのでそれを今のゲーム実況チャンネルでやらせてもらっていて。アニメもずっと好きだったんですが上京したら観る時間がなくなり。でもアニメもゲームもがっつり沼により、うっすらのほうが今の仕事に満足いく感じになっているので自我を保って、モテ路線とオタク路線のちょうど真ん中でやっていけたんじゃないかと」
──ゲームから学んだこと、人生にもたらしたことは何ですか。
「そんなにうまくないんですが若干、嘘をつきました(笑)下手なんですけど下手なりに楽しくやってるところが『観てて面白い』と言ってくれる。昔だったらファミコン持ってる友だちの家で『ストII』とかやりながら後ろで『イケー!』とかの流れがあったじゃないですか。それが今のYouTubeだと配信してて後ろから見てる人たちが視聴者でコメント打って『イケー!』と現代風にアレンジされて通づるものがある。ネット界に入った時に、芸能界の人がくると『こっちに来るんじゃないよ!』と弾かれるケースが多く、でも僕は売れてないので『ゴー☆ジャスだったらいいよ』と優しく受け入れてくれたんです(笑)そこも良かったですね」
──ネット配信の仕事の良さや楽しさを問われたら。
「僕の『ゴー☆ジャス動画』は編集しているわけでもなく、出演者なのでユーチューバーではないんです。雇われ店長みたいな。だからバズっても数がいかなくても固定給。楽しく、数字を気にせずにやれるのが一番得なのかもしれない。ユーチューバーの人は過激なこともやっちゃいますけど、僕はぬるま湯みたいな感じで(笑)やらせてもらっているので」
前世で徳を積んだのではと思うぐらい縁に恵まれ〝まだ助かる!?〟
──芸人を目指した経緯は?
「高校の時、アニメにハマり、吹奏楽部にも入っていた。全国大会に行くような有名校で休みは盆と正月ぐらい。空いた時間にアニメを観る生活。女の子にモテたい!はあったけどアニメを観ているほうが落ち着いた。深夜の声優さんのラジオ番組を聴いている時が一番癒される時代があったんですよ。そういうのもあって声優になろうと。両親が教師で長男は国立大学に行ってた。次男の僕は大学に行かなくてもと思ったんです。声優になりたい、声優の学校に行きたいと言ってみよう、親は先生なので無下には断らないだろうと踏んで。当時は県内一の超進学校で職員室の前に名前と進学先が書かれた紙が貼られて、有名大学が並ぶ中、僕だけ名前の横に代々木アニメーション学院とあって〝伝説〟になったんですよ。代アニに通って卒業後は声優、俳優、舞台俳優と3部門あって全部学べる事務所に所属して。そのうち声優という職業だけでは人数が多すぎて無理だ、俳優もやろうと思った時に舞台公演があって、前日に事務所内のお笑いライブが開催され、1年目だったんですが一人芝居をやって優勝。『あれ?もう学ぶことがない!』となって(笑)頭の中には声優の上に俳優があって、お笑いができたら全部できる。お笑いをやっていこう!と」
──活動は00年ぐらいから?
「その事務所を離れて、自分でお笑いライブを探していろいろ1年ぐらいやって1人は厳しいのに気づく。猛者がいっぱい集まってくるところなので〝飛び道具〟がないと戦えない。インパクトを残そうと扮装をやり始めて、これが4キャラ目なんです。試行錯誤して05年ぐらいに宇宙海賊やらせてもらって。そこからですね、テレビに出させてもらったり、取材で取り上げてもらったのは。声優にも俳優にも、お笑いにもなれずに…〝宇宙海賊〟となり……」
──となると5年ぐらいは下積み時代が。どんな生活を。
「渋谷センター街のコンビニ2軒で1日13時間バイトの毎日です。そこで働いた理由はシアターDというお笑いライブ専門の劇場がすぐ近くにあって、扮装するので楽屋を使ってもよかったんですがペーペーだったので先輩とかにメイクをしているところを見られたくなくて。コンビニの隣りのビル2階でメイクして着替えて颯爽と劇場に向かっていくという。バイトの人も協力的にみてくれて」
──辛くはなかった?
「思ったことが一回もないです。お笑いがダメで仕事がなくなってゲームをやったら派生して仕事が入ってきて。そういうのが立て続けにあったので前世で『徳を積んだ』と思うぐらい。いろんな縁があったり12年に結婚、その時はゲームしかなく、でも結婚もできてしまい式も予定通り行われて。前に取材を受けた時も、お笑いブームが終わりそうな時期だったけどそんなに危機感がなかった。先ほど誌面の写真を見ましたが危機感のない顔してます(笑)『まだ助かる(マダガスカル)』精神ですね、それこそが。一番言ってますからね」
『どんな時も変わらず人が寄ってきやすいのが愛される理由なのかも』
──話を聞くと縁や繋がり、人に恵まれてると感じます。「どんな場面でも変わらない。自分で分析すると人が寄ってきやすい感じがいいのかも。YouTubeの話を持ってくれた人にも他の仕事で一緒だった時に『話しやすかったから』と言われて、あと乾曜子ちゃんというアシスタントにきてくれたコが今は芸能事務所の社長さんになられて、その繋がりで所属で大人気のえなこちゃんが出てくれたり」
──いい流れですね。ゲーム関連だと『カプコンTV』出演も。
「二強のうちの『モンスターハンター』を仕事がない時にやっていて。いろんな装備ができるんですが、それをツイッターに載せていたらみんながリツイートしてくれてヤフーニュースに出て。『ゴー☆ジャス仕事がなさすぎてモンハンめっちゃ強くなる』と。で、ある日、カプコンの人からイベント出演を頂き、何か用意しないと盛り上がらないと思って段ボールで大剣を作っていったんです。登場の時に大剣の剣先を出したら沸いて、出ていったらさらに沸いて。気に入られて『カプコンTV』にも呼ばれて、いつの間にかレギュラーに。たまに〝カプコンの犬〟と言われますけど幸せです」
──荒波の芸能界で生き残ってこられた理由を尋ねられたら。
「テレビアニメ『デート・ア・ライブ』で声優をやらせて頂き、超紆余曲折があってもなれた。夢が叶うというのは直線ではなくいろんな道があるんだなって。代アニの講師に呼ばれたら、それをまず言いたい。講師として行ったことは一回もないですが。一番良かったのはコウメ太夫さん、鉄拳さんもそうですけど白塗り芸人の若手が出てこないこと。こんなにキャッチーな(笑)ものをやらないなんて…僕が一番の若手、そういうところも運が良かったですね」
──ゴー☆ジャスさんの仕事に対するモチベーションは?
「原動力となるのは子どもがいるので頑張らなきゃというのがあります。僕の職業をまだ言ってないんです。6歳の長女がちょっと分かり出してきた年齢で部屋に掛けておいたこの上着を『コレなあに』と聞かれて『パパのじゃなくてママのだよ』と誤魔化して。知らないけど悪評が流れるのは嫌なので誠実に頑張るしかないんです、結果的に。それがモチベーション、いずれバレてしまう前に」
──芸人としての今後は。
「僕の中では『爆笑レッドカーペット』に出始めた時から自分を芸人だと思うのは止めていて。なので宇宙海賊になりますが展望としては引き続きYouTube活動をやってコロナ禍が明けたらイベントもいっぱいやりたい。と同時に野望があってゴー☆ジャスというキャラクターをアニメ化できないかと。声を僕じゃなくて人気のイケメン声優さんに当ててもらって、それが次の願望ですね。Vチューバーとか大人気なので、僕もリアルVチューバーみたいなものですけどキャラクター印税で暮らしていきたい(笑)時代が声優さんに頼って動いているところを見逃してませんから」
PROFILE
ゴー☆ジャス
1978年11月10日生まれ 福島県いわき市出身
高校卒業後に上京し、代々木アニメーション学院の声優タレント科へ。卒業後はお笑いライブでの活動など下積み期間を経て、お笑い番組がブームとなった00年代後半にテレビ出演による露出が増え、話題のピン芸人として注目される。現在のキャラクターは、アンドロメダ3丁目出身の〝宇宙海賊〟という設定で、決めゼリフは「君のハートに、レボ☆リューション!」。14年に開設したYouTubeのゲーム実況チャンネル『ゴー☆ジャス動画』は登録者数48万人超を誇り、Twitterフォロワーも43万人超と大人気だ。
公式Twitter 公式ブログ
ゴー☆ジャス
1978年11月10日生まれ 福島県いわき市出身
高校卒業後に上京し、代々木アニメーション学院の声優タレント科へ。卒業後はお笑いライブでの活動など下積み期間を経て、お笑い番組がブームとなった00年代後半にテレビ出演による露出が増え、話題のピン芸人として注目される。現在のキャラクターは、アンドロメダ3丁目出身の〝宇宙海賊〟という設定で、決めゼリフは「君のハートに、レボ☆リューション!」。14年に開設したYouTubeのゲーム実況チャンネル『ゴー☆ジャス動画』は登録者数48万人超を誇り、Twitterフォロワーも43万人超と大人気だ。
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Interview&Text/立花みこと Photo/渋谷和花