日本テレビ系お笑いネタ番組「エンタの神様」で一躍全国区に名乗りを上げるも、ブレイクの4年後には月収数万円の〝暗黒期〟に突入。コウメ太夫さんは「一発屋」「スベリ芸人」と世間から認知されてしまうが、あれから16年、芸風を変えることなくテレビ界に生き残り、ここにきてバラエティ番組出演が増えるなど最注目を浴びている。そんな「夢を実現するため好きという気持ちを持ち続けた」コウメさんを直撃!
『好きなことがあったら一生懸命やってみるといい』
『必ずいい時期がやって来ると信じてほしいですね』
『必ずいい時期がやって来ると信じてほしいですね』
芸能の道はマイケルとの出会いでカッコいいと真似するようになり ──Eテレ『SWITCHインタビュー達人達』、フジ『さんまのお笑い向上委員会』、TBS『水曜日のダウンタウン』など最近は、バラエティを中心にご活躍。そんな現状をご自身では?
「番組にちょこちょこ出させて頂いて有り難くて、嬉しいっていうのはありますよね。でもこういう時期じゃなかったら…営業がね。こんな感じで出てたら営業が結構入っていたんじゃないかと。その辺が何だろうなあとは思いますが有り難いですよね」
──くりぃむしちゅー有田さんがМCの『全力!脱力タイムズ』も。
「お世話になってますね。すごく感謝していて、同じ番組に出させて頂いた時、有田さんが仕事終わりでエレベーターに乗っていくところを見たんですが『コウメ、ちょっとこっち来いよ!入れ!入れ!』って。『オマエ最近、意味分かんねえのやってるじゃん。それ続けていきなよ』と言ってくださって。そこからずっと守るようにしてましたね」
──呼び止められた時はどんなことを思われましたか。
「何を言われるかな、とはちょっと…。でも怖い感じじゃないので。有田さんは優しいですから」
──そんなコウメさんはお父さんが芸能プロデューサーで、お母さんが元女優さん。いわゆる芸能一家に生まれ育った幼少期と、現在に繋がるものは?
「親がどうだからとか、分からなかったですね。もう亡くなっちゃったんですけど歌舞伎俳優の伊藤雄之助さんがよく家に遊びに来てて。CМにもよく出ていた方でテレビCМを見て「このおじちゃん遊びにきてたな」とか、そんな感覚ですよね。親父とお袋に見学で歌舞伎の練習場に連れていかれたことがあったんですが、でも小さいんでよく分からない。なんでここに来てるのかな?って」
──芸能の道を志されたのは。
「マイケル・ジャクソンとの出会いですかね。小学生の時に友だちが『面白いビデオがあるから見に来なよ』と。それが『スリラー』のミュージックビデオで怖かったですね。オバケのヤツじゃん、苦手なんだよな、と思いながら見てるうちにマイケル・ジャクソンのダンスと歌がすごいなって。カッコいい!と真似するようになったのがきっかけですね」
──当時は歌って踊って早く稼ぎたいと考えていたと聞きましたが。
「思いましたよね、早くに親父が亡くなっちゃったので。お袋もパートにも行くようになって、そういうのを見たりしてるので。『早くお金を稼いで!何とかならないかな』って心では思ってましたけど難しいもので、簡単にはいかなかったですけど」
──歌って踊ってでいうとジャニーズ事務所の話も。
「当時、歌って踊ってスターなれるといったらジャニーズ事務所しか思いつかなかった。なので探して履歴書を送って。なかなか返事が来ないので半年ぐらい経ってから事務所に行ったんですよ。『返事が来ないんですが』と言ったら注意されちゃいまして。そこで気づかされて、それ以来は行かないことにしました」
梅沢富美男さんの劇団で教わったことが今の芸風に繋がっている!
──その後、お母さんの応援もあって芸能事務所に所属されたり。
「踊ってばかりいたのを知ってか『養成所に入らない?』と言われた時は驚きましたね。反対されるのが普通だと思って。けど、そこはお金がかかるところで親にお金を払わせるのは嫌だったので断りましたが『いいから行きなさい』と言ってくれたので」
──で、高校卒業後は北海道の大学へ進学も中退されて。やはり夢を諦め切れずに?
「ホントに好きだったんでしょうね芸能のほうが。学校の勉強も面白くなり教職免許の授業に通っていた時期もあったので迷った時はありましたが、でもオーディションとか受けちゃうんですよね。ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト。初めて言ったのかな。嫌だな、また恥ずかしいの言っちゃったな。一次審査は通ったんですよ20歳の時ですね。確か武田真治さんがグランプリ受賞の年ですね。その次にミスター日本というオーディションを受けて『一通目に届いた!』とテレビ局の人が伝えに来て『キミは持ってるかもしれないから』と。その映像が全国に流れて、それを観てた大学の陸上部の先輩が怒って『陸上とどっちが大事なんだ!』って。芸能のことができなくなったら嫌だったのでだったら辞めて好きなことをと」
──また芸能の道に。
「東京に戻ってから歌のオーディションを受けて、もうちょっとでCDデビューの5位まで上り詰めたんですよ。そんな時に元ジャニーズ事務所のタレントさんで沖縄出身の方がやっていた事務所から『電話番でもやってみるか』とお誘いを受け『チャンスかもしれない』と、しばらく電話番とかお茶くみをやっていました。そしたら『女の子をスカウトして来て』と頼まれるようになり必死だから女の子をバンバン連れていって褒められもしましたが、ただのスカウトマンになってきている、違うことをやり始めているなって」
──梅沢富美男さんの劇団にも、いらっしゃったんですよね。
「当時は和物とかに全然興味がなくて、でもオーディションに行ったら即合格。『給料を渡すからバイトは絶対にするな!』と」
──給料も良かったそうですね。
「月15万は最低くれて毎日食事代として現金で4千円。小遣いもくれるんですよ、たまに。劇団ではバカ旦那の役を演じたり白塗りや女形、ジャズダンスを教えて頂いて。ただ『スターさんになれるところじゃないよ』とはずっと言われてて、なら夢あるほうを取ろうと『大学をもう一回受けるので』と嘘をついて退団しました。辞めた時は怖かったですよ…でも売れてから挨拶に行ったら梅沢さんが『やり続けろ』と言ってくれたのでホッとしましたけど」
──劇団員時代は今の芸風に繋がることも多いですか。
「『エンタの神様』を観てて、波田陽区さんとかやってるじゃないですか、和風でやって音楽つけて間にブリッジ挟んで決めの言葉を言って。そういう人がよく採用されてると思って」
──ピンになった翌年に〝エンタ〟出演で人気芸人の仲間入り。
「それまで芸人としてテレビに出る機会がなく、35歳でリミットを作ってそれまでに芽が出なかったらサラリーマンは絶対にできないから、修業して将来は自分の店、飲食店でもやろうと。なので自分を追い込んじゃいますよね、どうしよう?って。占い師に相談したり必死になって……」
ツイッターを始めた当時はテレビに出れてなかったので将来はと… ──ブレイク前はそんなことに?
「事務所でも、特に作家さんから評価が低くてネタを持っていったらダメ出しの嵐。普通そうなんですけどあまり言われるとやる気が出なくて、ちょっとは褒めてくれないと。マネージャーに連絡して『作家さんとうまくいかず、無理っぽいので事務所を辞めます』と言ったんです。そしたら『辞めないで。上のクラスのほうの作家さんに変えるから』って。一番ビリなのにいいのかな?こんなことを言ってくれるなんて珍しいなと。引き止める人っていないので、こういう世界は。それに甘えてネタ見せに行った時に♪チャンチャカチャンの。ダメダメ言ってくれたから、あれが段々と出来上がっていき引き止めてくれたお陰で、その1か月後に『エンタのオーディションがあるよ』と言われて行きまして」
──番組出演がきっかけで売れに売れて!
「ビックリしましたね。稼ぎも良くなっていってケタ違いの金額が入っているので。最高月収400万円ですね」
──どのくらい忙しかったですか。
「営業が1日4本入っている日があって現場、どこに移動して何をやってるのか分からないぐらい。よく間に合ってるな、マネージャーさんもよくやってるなって。メイクを落とす間はないですね。行ったらすぐ出番で」
──しかし、ブレイク期も長くは続かず仕事も給料も減って。貯蓄を始められたのは。
「毎月何百万だ入ってきて貯まっちゃいますよね。使うといってもせいぜい食べもの。居酒屋でまあ5、6千円ですよね(笑)貯まってくると面白いんですよ。どこまで貯まるのって、そういう楽しさが出てきて」
──自己資金3千万円で賃貸アパート1棟を購入されて。
「そりゃあ芸人一本でいきたかったですよ。けど、べしゃくりなんて誰も教えてくれないし、下手だ下手だ!と言われて自信はなくなる一方で諦めていくんですよ自分の中で。現実を見ると仕事が少なくなってきて。そんな時にマネージャーから『実家を真っ二つに割って僕と元嫁と息子の3人で住んで、半分はお袋に』という提案があり話をしたら『私の家を勝手に真っ二つってどういうこと!』ってめちゃめちゃ怒られたんです。だったら財産も増えるし買ったほうがと家族で話が出て、探したらすぐにいい物件が見つかったので購入しました」
──ツイッターもすごい勢いでフォロワーさんが増えていると聞いて。「#まいにちチクショー」投稿もバズってますよね。
「増えてますね、毎日毎日呟いているので。僕のネタに対して分析する哲学者が出てきたりとか」
──エンタ時代を知らない若い人も面白がっているそうで。
「フォロワー数が増えていったり雑誌社の方からツイッターについていろいろ質問されたり、反響が出てるんだなと感じますね。ツイッターを始めた当時はテレビでそういうネタを将来できるようになりたいと。テレビに出れてなかったので。違う形のまたネタで将来できたらとよく語ってましたね。若い世代にメッセージですか。好きなことがあったら一生懸命やってみるのがいいんじゃないですか、人に迷惑をかけること以外で。必ずいい時期がやって来ると信じてほしいですね」
PROFILE
コウメ太夫(こうめ・だゆう)
1972年4月20日生まれ 東京都杉並区出身
大学中退後に梅沢富美男劇団に所属。97年に退団し、お笑い芸人に転身。JUMP-2000などコンビ解散を繰り返しピンに。05年、日本テレビ系「エンタの神様」出演でブレイク。09年頃から人気に陰りが出始め仕事は激減も、新キャラを披露しながら芸人を継続。近年は映画やドラマなど俳優業をやりつつ、Twitterで「#まいにちチクショー」と題したネタ投稿が話題になるなど最注目されている。
公式Twitter 公式Instagram
コウメ太夫(こうめ・だゆう)
1972年4月20日生まれ 東京都杉並区出身
大学中退後に梅沢富美男劇団に所属。97年に退団し、お笑い芸人に転身。JUMP-2000などコンビ解散を繰り返しピンに。05年、日本テレビ系「エンタの神様」出演でブレイク。09年頃から人気に陰りが出始め仕事は激減も、新キャラを披露しながら芸人を継続。近年は映画やドラマなど俳優業をやりつつ、Twitterで「#まいにちチクショー」と題したネタ投稿が話題になるなど最注目されている。
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Interview&Text/立花みこと Photo/渋谷和花