高校の同級生たきうえさんとお笑いコンビを組み、00年から活動を開始。一発ギャグを繰り出すギャグマシーンとして広く認知される、お笑いコンビ流れ星☆ちゅうさんにお金に関する話から「肘神様」&〝ギャグマシーン〟誕生の裏側、切磋琢磨したライブシーンの話、芸歴20年超を振り返って思うことまで聞いた。「子どもたちに愛される人気キャラクターとして、ゆくゆくはアニメ化を!」という野望が叶う日も近い!?
『芸歴20周年記念の東京公演は爆笑&最高の単独ライブになるはず!!』
若い頃はお金に関してだらしなくて借りては返すの繰り返しでした──流れ星☆さんの最近の話題に、相方たきうえさんの投資話があります。聞いた時の感想は。
「月にいくら入るとか具体的な金額は聞いてなくて、基本…ロクな話題が上がらないのでアイツは。お笑いじゃないところの、やれ財テクやれ離婚とか。そういう話になると僕は席を外します。誰も幸せにならない話だなって。それでも一緒にいる時にこうやって振られて2億のマンションを購入したと言ってますけど、オレらがそんなに借りられるんだ、とまず驚いて。一棟だから何部屋あるんだろうって、都内の不動産すごいじゃないですか。どういうカラクリなのか全然…。最近のアイツは胡散くさくてしょうがない(笑)」
──若い頃とはお金の使い方、向き合い方は変わりましたか。
「サイフの紐を握っているのが奥さんなので僕が持っていたら貯金はないと思います。昔はよくギャンブルもやっていて、けどサイフの中に100円あれば大丈夫だったので。自転車移動って都内だと無敵なんですよ。お笑いのライブ会場が下北沢、新宿、渋谷、高円寺、阿佐ヶ谷、中野で当時は笹塚に住んでいたので自転車でどこへでも行ける。行くと芸人がいるので、お金を借りられる(笑)だからサイフに100円あれば良かった。だらしなかったですね」
──〝借金芸人〟じゃないですか。
「よく貸してくれる芸人がいたん ですよ。それが磁石の永沢(たかし)で日テレの『ラジかるッ』にレギュラーで出てて。僕とハマカーンの浜谷(健司)と鬼ヶ島のアイアム野田の3人は永沢からいかに金を借りられるかを常に考えていた。『ちゃんと給料日には…』と意思表示をして返して信頼と実績を積み重ねていって。それでも貸し渋るようになった時に答えを見つけました。雨の日まで待って終電がなくなった夜中に、永沢が東新宿に住んでたのでそこまで傘もささず自転車で行って…。ビショ濡れのオレがインターフォンで『1万円貸してくれない?』と言うと、とりあえず中に入れてくれる。必死にお願いしたら借りれたので、次から雨の日まで待つようになって。明日どうしても必要って時に雨じゃないのに電話したら『今、浜谷が金貸してくれと来ていて、それを処理してからでいい?』と。オレら〝永沢金融〟と呼んでいていつも渋滞、大人気だったので、お金にだらしないヤツらが集まる駆け込み寺みたいな存在でした」
──タイムマシーン3号さんの取材の時にも磁石さんの名前が出ました。同期ですよね。
「タイム、磁石はライブシーンも一緒でしたし00年の同期デビュー組でNHKの『爆笑オンエアバトル』にも一緒に出ていた。タイムマシーンは毎回、80点超の漫才をやる。オンエアバトルは客層が老若男女なので安定して勝つ!磁石もそっち寄りでちゃんとウケる。流れ星☆はムラがあるので当たり外れがデカい。悪い意味で(笑)年間通して成績優秀者上位何組までが出られるチャンピオン大会があって何年も準決勝で負けてファイナル進出ができなかった。そこで今回は!と残しておいた必殺ネタがあったんですよ。ドラゴンボール居酒屋という、店員さんが悟空みたいな感じのネタで、これは安定してウケていて〝鉄板〟だったんです!」
──結果はどうでしたか?
「このネタは腐るほどやっているから練習もせずにタカをくくって『みんな必死にやってるね』と余裕ぶちかましてフタを開けたら…。チャンピオン大会は倍のお客さんが入るので満点が1090キロバトル。なのに280ぐらいで、あれ?って。通常回より点が低い(笑)お客さんが書いたジャッジペーパーが2ヶ月後ぐらいに事務所に送られてくるんです。それを見た時、年配の男性が『小生、ドラゴンボールというものを存じ上げておりません』と書いてあってその層は全滅でした」
優勝してないけど肘神様のネタがウケて営業の客数が一変しました
──散々な目に遭ったんですね。
「タイムや磁石はよく決勝に行く。当時、決勝はNHKでやっていて、ファイナルが終わった後に局内や近くの店で打ち上げがあり、こっちは準決勝で負けているので収録日も知らずに家にいると、だいたい永沢かタイムマシーンの山本から電話があって『ちゅうえい、打ち上げ会場のどこにいる?』『いねえよバカ!』『あーそうか。負けたもんなあ』って」
──切磋琢磨してきた芸人仲間から影響を受けた、学んだことは。
「たきうえがネタを書いているんですが、学ぶというより独学というか我が道をいく性格なので、いい意味で周りに流されない。よく言ってたのがМ―1グランプリとか準決勝まではお笑い好きな人が審査員だけど決勝はまったく違う。だからネタは分けて、準決勝まではお笑いマニアの方にちゃんとウケるネタを出す。で決勝に行ったら肘神様をやろう、それまでは見たことがない新ネタでウケるヤツをやっていこうと。アイツの中では決勝と準決勝までを分けてというルールを作っていました。客観的に賞レースを見てて分析して。だから周りに影響受けたかというよりは、独学でそういうのを見つけていた感じでしたね」
──『THE МANZAI』で披露したネタ「肘神様」は、たきうえさんが基本コンセプトを?
「今のМ―1グランプリももちろんすごいんですが昔のМ―1って決勝に行ってもすべる人がいた。審査員も辛口な評価で。その頃のМ―1は芸人の中では憧れの存在で、みんなそこをモチベーションに頑張っていた。芸人も自分たちが一番面白いと思っているのがより強くて。たきうえもそこに入っていてほかの人がやっているような設定は入り口から被っちゃうから、オレらっぽいのがないかなと。で、身体の一部を奉る祭りをやる村の話をやりたいと。いろんなネタの中によく歌があるんですけどそれはオレが作っていたので祭りの音頭みたいなのない?と聞かれて。肘を崇める歌を作ったら〝ひじ祭り〟という設定でネタを作ろうと。ライブでやってウケるんですがアイツが『は~ありがたや~ありがたや~!』を足そうと言い身体の一部分を崇めるネタってオレらっぽくない?って」
──このネタで大ブレイクされて。
「決勝で優勝はしてないんですけど大会の中ではある程度は話題になった。それが12月末で普段入らないような正月3が日の営業が入り、錦糸町かな?駅前のデパートで営業があって特設ステージを作ってやる。お客さんがビッシリどころか数百メートル先まで道に並んでいて、優勝してないのに!って。チャンピオンになったら、えげつないなと感じましたね」
──それ以外にも反響は?
「決勝に行った次の日は、いつも通りのスケジュールで休み。急に忙しくなるワケじゃないので。ただ、どのくらい変わったか知りたくなって自転車で渋谷をウロウロと。なんか音がしたら反応しながら、ゆっくり3周ぐらいしましたが誰にも気づかれずに帰ってきました(笑)あれだけウケたのに、自分たちでもウケたと思っていたので…」
『ネタを書く相方は我が道をいく性格で周りに流されない強さがある』
相方の副業がすぎるのでもう一回お笑いに目を覚ましてくれが願い──3月12日には単独ライブ『流れ星☆ 20周年記念ツアー ベストネタライブ 絆 ~3度目の正直なんやさ!~』東京公演が。
「いつもはツアー形式で全国各地に行ってやっているんですがコロナで2度中止になって。3回目は一か所に集約して日本青年館ホールで。吐き出す場所が一か所しかないので集中して。2人ともエネルギー的なものが溜まっていて、とんでもない爆笑ライブになる!来て後悔しない最高のライブに!過去に類を見ない爆笑のライブになるんじゃないですか」
──〝ギャグマシーン〟としても知られるちゅうえいさんですが最初は乗り気じゃなかったとか。
「お笑いライブのエンディングでボケ合戦が始まるんですが、一発ギャグやったらと、アイツが言い出すぐらいの出来事があって。15年以上前かな、各事務所から選抜された芸人が出演するライブにゲストで吉本から品川庄司さんが来て、エンディングで品川さんが笑いを取りまくって。オレらも含めてみんなビビってしまいカッコ悪いなって…。そこでアイツが戦える武器を作ろうと、一発ギャグを出し始めた。そのうち、ちゅうえい=一発ギャグと認知され始めて…。けど自分が言ったのにオレが作ってやってウケるから気に食わなかったんでしょうね。漫才には絶対に入れないと。『THE МANZAI』の一回目が始まった時、決勝進出は間違いないと評判だったのに落ちてしまった。たきうえは心は折れちゃったけど、次の日に会ったら『漫才にギャグを入れたい』と言ってきた。ただ、そこで『OK!分かった!』と全肯定すると『やっぱり止めよう』という反応もあると思ったので、内心は『やった!』と思いながらも『漫才の形が壊れるんじゃないの~』と嘘の△を出して、それがあまり乗り気じゃなかったとなっているのでは」
──そんな経緯があったんですね。
「ある程度、形ができて次の日の渋谷ラ・ママでのライブでやったんです。そこに『おもしろ荘』のプロデューサーが観に来ていて、ネタ見せに呼ばれて受かって番組で優勝したんです。そこから今の形の漫才が始まりました」
──お笑いコンビとして芸歴は20年超。振り返って思うことは?
「たきうえという人間はお笑いを20年以上やると、副業に熱を入れるのが分かりました。太陽光発電をやっていて今はマンション、その前にアパートも一棟買っていて、それで信頼を得て2億を借りられたと言ってたので。僕の唯一の望みはソーラーパネルに日焼け止めクリームを塗りたいのと、超局地的なトルネードが巻き上がりアパートに縦に刺さらないかなと。これが細やかな願い。20年やってきて思うことは。もう一回お笑いに目を覚ましてくれと(笑)」
──今後の目標や展望を。
「姓名判断で、名前がアンパンマンやドラえもん、ピカチュウと同じ星のもとにある、と言われたことがあって。子どもたちに愛される人気キャラクター、流れ星☆のマスコットになってゆくゆくはアニメ化とかして。グッズも作られるでしょうから、僕もそういう方面の副業で頑張っていきたいなと。副業コンビとして、お笑いそっちのけで(笑)」
PROFILE
ちゅうえい
1978年7月29日生まれ 岐阜県下呂市出身
相方たきうえさんと岐阜県立斐太高等学校で出会い、00年6月からお笑いコンビ流れ星として活動開始。「THE MANZAI 2013」で披露した〝肘神様〟で全国区の人気を得る。17年、18年に「THE MANZAI プレミアマスターズ」たけし賞を受賞。19年、YouTubeチャンネル「流れ星漫才」「流れ星TV」を開設。21年3月にコンビ名を流れ星☆に改名した。NHKEテレ『ストレッチマンV』、コンビでラジオ『流れ星と太田唯のやるんやさ3』『流れ星☆のながらじお!』出演中。飛騨・美濃観光大使、下呂市ふるさと観光大使としても活動している。
公式Twitter
公式Instagram
INFOMATION
20周年記念単独ライブ『絆』
単独ライブ『流れ星☆ 20周年記念ツアー ベストネタライブ 絆 ~3度目の正直なんやさ!~』が3月12日(土)日本青年館ホールで。20年7月から9月にかけて全国20カ所で行う予定だった全国ツアーが、新型コロナウイルスの影響により2度、全公演開催見送りとなっていたが、ようやく東京での実施が叶う。
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ちゅうえい
1978年7月29日生まれ 岐阜県下呂市出身
相方たきうえさんと岐阜県立斐太高等学校で出会い、00年6月からお笑いコンビ流れ星として活動開始。「THE MANZAI 2013」で披露した〝肘神様〟で全国区の人気を得る。17年、18年に「THE MANZAI プレミアマスターズ」たけし賞を受賞。19年、YouTubeチャンネル「流れ星漫才」「流れ星TV」を開設。21年3月にコンビ名を流れ星☆に改名した。NHKEテレ『ストレッチマンV』、コンビでラジオ『流れ星と太田唯のやるんやさ3』『流れ星☆のながらじお!』出演中。飛騨・美濃観光大使、下呂市ふるさと観光大使としても活動している。
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INFOMATION
20周年記念単独ライブ『絆』
単独ライブ『流れ星☆ 20周年記念ツアー ベストネタライブ 絆 ~3度目の正直なんやさ!~』が3月12日(土)日本青年館ホールで。20年7月から9月にかけて全国20カ所で行う予定だった全国ツアーが、新型コロナウイルスの影響により2度、全公演開催見送りとなっていたが、ようやく東京での実施が叶う。
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Interview&Text/立花みこと Photo/渋谷和花