【取材こぼれ話】「異能者 ちょっとお話いいですか?」は黒沢哲哉さん
◆「エロ本自販機の本を作れるかも」と思いついたものの、しばらくは周囲に秘密にしていたという黒沢さん。「僕は昼間は編集の仕事をしているので、時間がある人に同じことをされたら、すぐ追い越されちゃうな……と思って。知り合いのライターにも『まだ誰にも言わないでね』と念を押して話したんですけど、彼がすぐ双葉社の編集者に喋っちゃって(笑)結果的に、それで出版が決まりました」
◆このエロ本自販機の本は「早すぎても遅すぎても出せなかった」と黒沢さん。「この活動を始めた当初は、地方ではGoogleストリートビューで見られない道も多く、まだ自販機探しが難しかった。その部分が改善され、Googleの検索システムも向上したことで、加速度的に自販機が見つかるようになりましたが、一方で古い自販機は減っていって、自販機の情報を載せていた個人ホームページも閉鎖されていきました。取材中に潰れてしまった自販機も30ヶ所くらいありますし、遅すぎても出版は難しかったでしょうね」
◆本の表紙に使われたのは青森県のエロ本自販機。「出版後、この自販機の業者さんに取材のお礼に行ったら、『この写真、撮ったの夏でしょ?』って言い当てられて。青森県なので、冬場は小屋の半分近くまで雪に埋もれちゃうらしんですよ。その姿も見てみたいですけど、四駆の車じゃないと現地にたどり着けないですね(笑)」
昔は街中でチラホラ見かけたエロ本の自販機。最近めっきり見なくなった……と思いきや、地方のロードサイドには現役で活躍中のものも多いそう。そんな全国のエロ本自販機を1人で巡り、『全国版 あの日のエロ本自販機探訪記』(双葉社)として発表したのが黒沢哲哉さんだ。その佇まいの面白さ、関わる人間の面白さ、知られざる内部の魅力等を存分に語ってもらった。
◆「エロ本自販機の本を作れるかも」と思いついたものの、しばらくは周囲に秘密にしていたという黒沢さん。「僕は昼間は編集の仕事をしているので、時間がある人に同じことをされたら、すぐ追い越されちゃうな……と思って。知り合いのライターにも『まだ誰にも言わないでね』と念を押して話したんですけど、彼がすぐ双葉社の編集者に喋っちゃって(笑)結果的に、それで出版が決まりました」
◆このエロ本自販機の本は「早すぎても遅すぎても出せなかった」と黒沢さん。「この活動を始めた当初は、地方ではGoogleストリートビューで見られない道も多く、まだ自販機探しが難しかった。その部分が改善され、Googleの検索システムも向上したことで、加速度的に自販機が見つかるようになりましたが、一方で古い自販機は減っていって、自販機の情報を載せていた個人ホームページも閉鎖されていきました。取材中に潰れてしまった自販機も30ヶ所くらいありますし、遅すぎても出版は難しかったでしょうね」
◆本の表紙に使われたのは青森県のエロ本自販機。「出版後、この自販機の業者さんに取材のお礼に行ったら、『この写真、撮ったの夏でしょ?』って言い当てられて。青森県なので、冬場は小屋の半分近くまで雪に埋もれちゃうらしんですよ。その姿も見てみたいですけど、四駆の車じゃないと現地にたどり着けないですね(笑)」
昔は街中でチラホラ見かけたエロ本の自販機。最近めっきり見なくなった……と思いきや、地方のロードサイドには現役で活躍中のものも多いそう。そんな全国のエロ本自販機を1人で巡り、『全国版 あの日のエロ本自販機探訪記』(双葉社)として発表したのが黒沢哲哉さんだ。その佇まいの面白さ、関わる人間の面白さ、知られざる内部の魅力等を存分に語ってもらった。
PROFILE
黒沢哲哉(くろさわ・てつや)
1957年、東京の葛飾柴又生まれ、早稲田大学第二文学部卒業。学生時代にライターとしての仕事を開始。卒業後は勁文社に入社し『全怪獣怪人大百科』などの編集に携わる。84年からフリーランス。主に昭和のサブカルチャーやマンガ研究、マンガ原作の分野で活動。
公式Twitter
黒沢哲哉(くろさわ・てつや)
1957年、東京の葛飾柴又生まれ、早稲田大学第二文学部卒業。学生時代にライターとしての仕事を開始。卒業後は勁文社に入社し『全怪獣怪人大百科』などの編集に携わる。84年からフリーランス。主に昭和のサブカルチャーやマンガ研究、マンガ原作の分野で活動。
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