ブレイクして20年近く経つ現在も数々のCMに起用される。契約本数は前回登場時の倍近くになったと言うお笑い芸人のダンディ坂野さん。キングぶりは健在だ。YouTube「だんさかチャンネル」がきっかけで今年8月には演歌歌手・大石まどかさんとのデュエット曲リリースも話題を呼んだ。芸能生活25年、「ゲッツ!」で〝一発屋〟として大きな花火を打ち上げたダンディさんに様々な場で活躍を続けてこられたワケを尋ねてみると。
『どこかに落ち着くところがあるのでそれまでは社会勉強だと思って』
あの頃は肉体的にも辛かったですがブレイクした感じは出ていた…
──96年デビューなので、今年で芸歴25年になるんですね。「26歳で東京に来て人力舎の養成所JCAに入ったのが93年ですね。ただ、芸歴のシステムが西と東で違うようで西方の人は養成所を入れない方が多い。一方、関東の方は養成所に入った時から芸歴にする。この黄色い人になってからは25年ぐらいですかね」
──調べたら、同期の芸人さんには錚々たる顔ぶれが。
「あの頃は『ボキャブラ天国』のちょっと下の世代なんです。くりぃむ(しちゅー)さんやネプさん、ネプチューンさん。この2組がボキャ天で活躍されていて、その下の世代ぐらいで。ボキャ天が終わって、ひと段落して『爆笑オンエアバトル』が始まる。関東で出てきた若手によるコンテスト形式の番組で、そこからジワジワと出てきたのが我々の世代ですね」
──そして03年に大ブレイク!当時は10ヶ月休みなしだったとか。
「現場とは別でスケジュール担当のマネージャーがいたんですが、来るものは拒まずという切り方をしてまして、言葉は悪いですけどアホなんじゃないかという受け方で。朝の9時から夜の10時まで1時間ごとに取材する日を設定されたことがあって、移動しなくていいけど、飽きるじゃないですか。『黄色のスーツについて』『ゲッツが誕生した秘話は』と同じ質問で。秘話なんてないのに…。そのマネージャーは部長の上の統括になったみたいで僕も最近、敬語を使うようになったんですが(笑)肉体的にも辛かったんですがブーブー言いながらもやっていったからブレイクした感じは出ていたと思うんですよね。休み休みになると違うことになっていたかもしれないし。イケるところまでいったもん勝ちの世界でだからこそ名前が残って中途半端こそ中途半端に終わってしまう。仲間内では0.発屋というのがあって世間の人たちはまとめて、あの人たちと言いますが花火の大きさが違うみたいなことはありましたね。今思えばそれはそれで良かったなと」
──その後、ご結婚もされ、お子さんも2人いらっしゃって。当時と現在を比べると。
「家族がいて住むところが違って現場マネージャーも変わって。彼は今、ぺこぱについていてずっと忙しいんじゃないですかね(笑)マネージャーはスケジュール的にもタレントより大変ですから。年もいけば番組スタッフの方が僕より若い人が多くなって前は呼び捨てで『ダンディ!ちゃんとやってくれよ』と言われていたのが『ダンディさ~ん。今日はお忙しいところを』って。ヒマなのにお忙しいところ…と言われて」
──ダンディさんは15年2月号以来、二度目のご登場ですが、改めて芸人を目指したきっかけを?
「前も話しました?じゃあ言ってることが違うんじゃないかとならないように(笑)50代半ばなのでドンピシャ(松田)聖子さん、田原(俊彦)さん世代。聖子さんはこの事務所にいらした大先輩でもあるので、自分がいるなんてそれだけでも幸せなことなんですけどお陰さまで、このスキルで芸能界で一発当たりまして。あの時期が〝ザ・芸能界〟で」
アイドル志望から変更して芸能界に潜り込む道をお笑い芸人に求め
──2人の下の〝花の82年組〟もド真ん中で。バラエティだと?
「ドリフとかを小中学生の時に観て、アイドル時代に入って。90年代に入ると安室さん、浜崎さんとか音楽シーンが変わっていった。僕の中ではあそこまでが〝ザ・芸能界〟でいまだに忘れられない。あの世界へ行きたいな、が元々のきっかけで、けどアイドルじゃない年齢になった時にどうやって潜り込むかとなった時、テレビを観たらウンナンさん、ダウンタウンさん、あと、とんねるずさんが刺激が強かった。そこへ行こうと!とんねるずさんはアイドルと歌番組に出られててココに行けば一緒に『ザ・ベストテン』のミラーゲートから出てこられるんじゃないか。ということで目指したのが、お笑いでしたね」
──ただ、高校を卒業されてから地元の石川で仕事に就かれて。
「そこまで強い決意がなかったのかも。お金を貯めなきゃ、と2、3年で80万ぐらい貯めました」
──上京資金ができて。
「今の時代だったら東京と石川もそんなに遠くないし、ネットがあるので配信とかで目立ったことができたのではと思いますが40年近く前なので、なかなか田舎から出られなかったですね」
──養成所時代はどうでしたか。
「午前の授業は発声と筋トレとタップダンスを習えるんですよ。けど、次第と誰も来なくなる。タップなんて…お笑いをやりたいんだと。僕は歌って踊ってナンボだみたいなところがあるので、お笑いにも活かせて最高なのにって。留年した2年目もマジメに行って、でもまたみんな来なくなる。ふと横を見ると3期生のアンタッチャブル山崎(弘也)が一生懸命タップの練習をしてて。それを言うと『やめてよ~』みたいなことを言いますけど。アンジャッシュが1年上で東京03の飯塚が同期。豊本が1期下で元プラスドライバーの角ちゃん、角田さんが人力に入ってきて。東京03は最近スゴい活躍で良かったですね。悔しいのもあるんですけど時代が来たなあって。地道にライブシーンからコツコツやってきて」
──アンジャッシュ児嶋さんが「ダンディさんが、いの一番に売れるなんて」とおっしゃっていて。
「なるほど。みんなそう言いますよ。バナナマンの設楽さんが突然おかしなことで売れ出し始めるヤツがいるって話をしてて僕のことかと思ったら案の定。『奇跡体験!アンビリバボー』の〝こういう売れ方をした不思議な人たち〟みたいな特集で呼んで頂いて。キワモノまで言わないけどこういう芸風ですからね。こういうヤツがポッと出ちゃう。『ダンディさんがまさかなあ』って。僕自身もありました。売れたか!みたいな」
『趣味や私生活を充実させると辛くて大変なことも続けていけるはず』
変わらずにいて喜ばれている方にもっと喜ばれるのがいいのではと
──事務所内での〝CМキング〟は今も健在で?
「キングということで(笑)キングカズ(三浦知良)さんも同世代ですね。有難うございます」
──それだけCМに起用される理由をご自身では。
「黄色で短くてキャッチーで使いやすさがあるのかなって。『ゲッツ!』は耳残りするし、ちょっとしたアクセントには使いやすいという分析はあります。ただ、たくさん数があると『また同じのやってる』となるのでバランス良く全国いろいろと競合がないように。事務所の方でうまく調整して頂いているのと、今はウェブがあるので以前よりも増えてます。お陰さまで数は、キングとして(笑)」
──そんなダンディさんにとってのサンミュージックとは。
「最高なんじゃないですかね、僕にしてみたら。よそ様でしたら言葉は悪いですけど見捨てられる…『ダンディ。いいんじゃないか。お疲れ』みたいな感じになってるかもしれない。ウチは小島よしお、スギちゃん、僕と3人まとめての案件もあったりするので。そういうこともできる。悲しいかな正統派はいない(笑)漫才をやってきたのがカンニングぐらいで竹山が正統派かといえばまた違って。お笑いはもちろん彼はコメンテーターの分野で実力を発揮していて。ぺこぱは子ども受けがいいのと清潔感があるので、あれから2年ぐらい経ちますが出てからいい感じで。僕の場合は次から次へと。着物で顔を白塗りして『チクショー!』という方とか白塗りして肩にオウム乗せて地球儀持って…ウチの事務所なんですけど。芸能界に憧れて入ってきたお笑い芸人がずっと活躍できる事務所だなって。元々は聖子さんとか歌手の方が多かったいうのも自分の中では満足感が高い。ほかではなくこの事務所だったからこそ今もやれていると思います」
──芸能界で生き残ってきた秘訣や仕事をする上での原動力を聞かせてください。
「どこかで自分を認めていかないと。人と競ってあの人ができるのに自分は、が多かったんですよね。できないならどうしていこうかって。芸能界にいなくなったら別の仕事を探さなきゃいけないわけですから。そこで浮かんだのが少なからず喜ばれている方に、もっと喜ばれるのがいいのではないかという考えです。『昔流行ったダンディさん今はCМに出てるんだ。いいねこれ。ウチでもできないかな』って方からお声があった時にすぐにできて、やっぱりいいなと思ってもらう作業を怠らないことですかね。顔も体型も服も、身なりや仕草も劣化しない。(マツモトキヨシのCМの時は)当時36歳でヒーヒー言いながら忙しかったあの頃とあまり変わらないのが良かったんじゃないかと。みんなに愛されてた『ゲッツ!』がどこかに需要があるといつも考えながらあった時に張り切ってできるように。太り始めたら痩せる。髪が抜けたら気合いで生やす(笑)あとモチベーションになっているのは我々の後に出てきた小島、ヒロシ、髭男爵らの存在。彼らが認知され人気になって流れができてはいい傾向だった。だから頑張れるっていうのはあります」
──最後に若い読者に向けたメッセージを頂けますか。
「僕が励ましてもらいたいほうですが(笑)20代、30代の方へ、どこかに妥協点があって落ち着くところがあるので、それまでは社会勉強だと思っていろいろなことにチャレンジされたらいいのでは。あとは仕事は仕事と割り切って趣味やプライベートを充実させると辛くて大変なことも続けていける。そのうち大人に、40代になれば考え方が変わってきますから」
PROFILE
ダンディ坂野(だんでぃ・さかの)
1967年1月16日生まれ 石川県加賀市出身
93年に上京し、プロダクション人力舎のスクールJCA2期生に(後にサンミュージックプロダクションに移籍)。96年、デビュー。99年にはNHK「爆笑オンエアバトル」第1回放送に出演し、合格。番組初期の功労者である。バラエティをメインに映画やドラマ、Vシネマなど役者の顔も。演歌歌手・大石まどかさんとのデュエット曲「愛が生まれた日」を8月にリリースし話題となった。
公式Twitter 公式ブログ
ダンディ坂野(だんでぃ・さかの)
1967年1月16日生まれ 石川県加賀市出身
93年に上京し、プロダクション人力舎のスクールJCA2期生に(後にサンミュージックプロダクションに移籍)。96年、デビュー。99年にはNHK「爆笑オンエアバトル」第1回放送に出演し、合格。番組初期の功労者である。バラエティをメインに映画やドラマ、Vシネマなど役者の顔も。演歌歌手・大石まどかさんとのデュエット曲「愛が生まれた日」を8月にリリースし話題となった。
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Interview&Text/立花みこと Photo/渋谷和花